10月13日(’金)

しかしこの絶望感というのはだいたいたいがい恐ろしいもので

オレはしらんが

人間はおよそ皆これに

とらわれてしまうくらいのひどいもんで

みなこれから逃れるすべはなく

やりすごすことしかできないのではないかと

仮説をたてる

 

やりすごす能力の高低とかそういう問題ではなく「全員が

これに罹患する」ということである

そのことが問題である

 

形としてこの絶望や憂鬱は「●●イベント」という名前が

つけにくいだろうが

あるものはあるので

それは多分全員が知っていて(あるいは知らされたときに

あああれかと絶対的に認知の中にもともとあったと思うような)

しかし名前がついていないだけ

あるいは名前があるものの馴染みがないというだけの話である

 

われわれは満足や充足や充実感やその他これでよしという

感じ

を長くもつこと保つことそのままたゆたう穏やかな波のままで過ごす

ことができないのだ

 

そして興奮をもとめそして逸脱行為をして

あるいは何もしないでしなかったことに後悔して

どっちにしろそこで憂鬱の搦め手におちてしまうのである

逃場がない

 

間をうまいこと蟻の門渡りを慎重に歩き続ければいいのだがそれこそ

それが余人のできないことであり

できる人はウォーレン・バフェットのような偉人となることができるのだる

 

だる

 

こないだ山(妙高だったか・・(の

ありのとわたり

といわれるナイフエッジで滑落事故がありまして死んだんですが

目撃者がたまたますぐ後ろにいてSNSに直後発信してまして

すな

といいたいですがまあ

そういう事故は毎年起こっているし

ナイフエッジが怖くないわけもないしね

 

みなそうだと思いますが

 

凡庸と安寧に我慢できなくなる

あるいは安寧がないままあがいてるだけの飢餓感を

ずっともっていてそのこと自体で穴があいてしまうかもしれないし