風邪とウクライナ

風邪といいますか・・・

2024は年始からなんかちょいと体調を崩すこととか足底の皮がやぶれたりとか

いろいろあって

特に1月末からの体調不良が明けてみたら即花粉症になり

鼻がずっとおかしいままである

 

オレはながいこと(30くらいから50くらいまで)風邪で寝込むという

ことがほとんどまったくなかったので

頑健なのかと思っていたがこれは頑健ではなく

たまたまだ

いまこうなっているし

 

それで

あまり「風邪症状」になれていないので

頭が重いとか鼻が不快なずぐずぐとかしていると

「早くこれなおってノーマルなオレに戻らないかな^」

思うのであるが

 

これが恐ろしいことにこれからさきの人生がぜんぶ

鼻がずぐずぐのままの頭重感をかかえたままの人生があと30ねんくらい

つづくのだ!!!!

 

とすればそれはあまりに絶望だがとうとう本当にその通りなのだと

現実で理解するようになったとしたら

そのままでなんとかやっていく方法であるとか考え方とか

うけとめかた^つまりその現実がそこにあったとしてもオレの生はつづく

と思わないと生きていけないのである

どんなに不快だとしてもね

 

ウクライナのことを考えていて

それこそガザのように

あきらかな地獄そしてこれまでもこれからも地獄という場所

においていったい人間がどのように気力と生命力と希望を保っている

のだろうかあるいはそれがもうなくなっているけどなにかなんらかの

方法で精神を生き延びさせているそのありかたとは

オレはそれを考えていて

 

ウクライナでそれこそいやんなっちゃって徴兵拒否する男性がいてもそれは

当然だって気がするしそれを徴発する軍人もまた軍のありかたとしてはそっちが

正しい(見逃すほうが軍としては軍機違反)

のであるが

それこそそういう現実こそが地獄

なんだと思うのだ

 

風邪と比べるなよって言われるかもしれないがオレにとっては

このような体感の感覚こそがリアルであり

リアルであるものしか使えないのである

 

さっきめずらしくSession22ーいまは「セッション」か

をきいていたんだがテーマが「226事件」で

そのとき皇道派と統制派というのがいたのだが

ポイントは共通点として「このまま全面戦争にいく」ことだけは

共通に理解していた

厭戦派というものは軍部にはいない(公式には)

 

そのやりかたとして統制派は現実的な方法をとって全国民を

(全国民=つまり経済団体とかいろいろね・・大人のやりかたで

経済団体にも甘い汁をわたすこともしないと全国民ってわけにも

いかないじゃん?みたいなこと?)(利権争いね・・・あるね・・)

まきこんだしっかりした「国体」として戦争していくというもので

 

皇道派はいまの腐敗したやつら(統制派)に軍事をまかせておいては

飢えた国民(東北では行政が子女の身売りをあっせんするほどだったそうだ)

も報われないぞこうなった今は神=天皇陛下に真の統帥権を発揮していただき

君側の奸をはらうしかないのだ!あの妖怪どもを処分して陛下が神聖政治を司って

いただければすべてうまくいく!

と思っていた

らしい(一部オレの表現がありますので正確ではありません)

 

らしいよ===

 

どっちも間違っているのだが

 

それはいまだから言えるのであって

しかも

いま2024年

どう間違っているのか?を言える人がだれもいないのである

つまりだから当時のそれと

いまの2024の世界の「戦争を誰もとめられない」構造は

「とめられない」ことで共通しているから

 

まこと

 

イスラエルとロシアを誰もとめられないのである(ガザへの攻撃とウクライナへの攻撃を)

 

誰も

 

世界のレベルで誰もいない

 

のである

 

機能不全国際社会

のちの教科書は書くだろうか

 

恥ずかしい世界

しかし

ある意味ではこれまでの世界と同じ地続きの世界であり

我々は全然進化もしてないし生まれ変わってもいないし智慧を持ったわけでもなく

愚のままである