あらゆるストレスを私小説化

という方法はあると思うんですねそれは

私小説ですと言えば完成させられるどんなに他人にたいする

攻撃であろうとも

他人を壊すのが意図ではなくても結果的に他人を壊すことが

できるかもしれない(そういうのを兵器っていうんじゃねえの)

 

なにしろストレスで困っているんですわ

それを

どうにかしたい出すしかない外に出すしかないのであれば

ただ出すだけでは勿体ないこれはもっと

形をととのえてマネタイズできるようにしたらいいんじゃないか

しかもこの世でいまマイナージャンルになっているもの・・・

 

しかしこれはかつては「メジャージャンル」だったのような気も

するのよね

大きい形の圧力に逆らって

ううむ

それこそ明治大正期の青年がどうたらこうたらって

いうのも

さあ

もっとオレも真剣にステレオタイプを脱するためになんかしたら

いいんじゃないの

・立身出世を目指すのもいいがアプレゲールだっていた

・本音では親世代のことをバカにしていた

・経済よりも小さい愛が大事だって本当は知っていた

みたいなイメージを仮説に置いてさあ

そっからさあ

だいたいしらんまま書いたがアプレゲールっていつの流行語だよ

出典・コトバンク

   (après-guerre 「戦後」の意) 戦後、特に第二次大戦後に育った、昔からの考え方や習慣にとらわれない人たちをいう。 そのうち特に退廃的な、無責任で割り切った考えや行動をとる者や、基礎的な知識が身についていない者などに対して、非難の気持をこめて使う場合が多い。

 

たしかに非難だなあ

バカにしてる語だもんな

でもそういうのってすぐに転倒して

かえって自称で使うようになるんじゃないの)(誇りをもって自称する)

 

そういう気分て

まだ昭和末期の都立高校には残っていたような気がすんだけどなあ

どうだったかなあ(幻想の過去)

 

後記

そんなことを考えてたら午前のおわりごろ

雨の中くるまをはしらせていたら

AM(NHKAM1)で伊集院の100年ラジオやってて

坂口安吾の肉声で

インタビューとか対談とかやってて

戦後のことであり

やっぱり普通にアプレゲールっていう語が出てくるんだね話に

そこでは高木俊朗『インパール』が絶賛されていた

一戦士では知り得ない作戦の全貌もふくめて小説に仕立て上げられて

いる

私小説もいいけどさあ||~みたいなことを坂口安吾は言っていた

ようだが音声よくききとれなかった

 

まあなんでもいいんだけど

 

なんにせよ『インパール』だってそこに読書に興奮が怒りが

みちているわけで感情なき文学はない(驚きでもあきれでもなんでも)

感情

こころをうごかすもの

みたいなね

 

だからストレスを私小説化したとしても「おもしろさ」によって

こころがすこしでも動くものじゃないとねえ~~

SNSにある愚痴程度じゃあアカンよねえ~~~

増田文学よりは面白くないとかんと思うわ~~