1月15日(日)

おきる

(4時半くらいね)

早起きだね

いつもです

WORDLEやったり昨夜のラジオ録音手続きしたり

音楽の泉をNHKAM1できく

資源ゴミ捨てにいく

 

実家いく(報告など)

ひるめしくう

かえる

都道府県女子駅伝みる

みなさん素敵な顔してる

 

昼寝

 

おきる

ジムフロいく

汗かく

 

かえる

 

めし

 

録画消化

イワクラ・ヒコロヒー・三時のヒロイン福田の旅をみるが

尺がみじかい

録画

今日の「不滅のあなたへ」が録画失敗(機械不調)のため

今後一週間以内にNHK+でみないといけないので

録画を8話からみなおし

8話はいいねえ

死んだとおもったらボン王子は死んでいなかったというね

いいねえ

新しい展開もあるしね

 

あと日曜美術館でリヒター「ビルケナウ」再放送をみて

もう一回今月までやってる豊田市美術館にいきたくなる

 

我々は悪を為す存在でどうやら昔も今もそれをするし

必ずするしそれを止めようとはしない存在

らしいね

それは個人でもするし集団でもする

力あると思えばちょっとでもあると思えばそれを他人に対してする

他人に対して暴力をするし殺人もするし殺人よりもっとわるいような魂の殺人を

する

レイプもそうだし性的暴力全部そうだしセクハラもパワハラもするし

それによって他人を追い込んだり自殺させたりするし放置死させたりするし

何時もいつの世もそれをしている

ウクライナではロシア兵が傭兵がただ殺すだけではなく拷問してから殺している

 

ヴァイキングは他民族を殺し

魔女だといって女を殺し

 

朝鮮人が井戸に毒をいれたとデマをとばして殺すそしてそれを隠す

 

そんなことが延々と続いている

 

ビルケナウを描くことに向かいあうことを決めたのはリヒターが

もう老境に至ってからのことだが

結果として描いたことによって「これでもう描きのこしたことはない」と

リヒターは肩をなでおろしたのだそうだ

 

どんな形であってもそれが完成したところまでもっていった表現をした

こと

会田誠が絵の前で語っていた

 

それは思想の行動であって思想の行動は行きつくところまでいかないと止まらない

のだ

 

ということなのだと思う

 

 

あと久しぶりに呼び出し先生タナカをやってて

あのちゃんはいつも

革命的にかわいい

くるくる変わる笑顔とふてくされ顔が劇的にかわいい

 

こんなにもかわいい

 

TVひさびさにたくさん見て楽しいし

考える

 

暴力はいつもちょっとだけ力の差

つまり差異

が生まれた場所からうまれるし

いじめは学校からなくならない

なぜなくならないのかと考えたが学校であるかぎりは

絶対になくならないような気もしてきている

 

学校じゃなくするしかない

 

会社でもおきるときはおきるが

それは組織が硬直すればするほどおこるし

だから自衛隊ではおそろしいエスカレーションでハラスメントが

起こりそれは犯罪であることはもちろんだし

 

つまり組織(二人以上であればそれは個人ではなく組織)

かならず力の差があるゆえにそこに起こるのが暴力

 

コミュニケーション

 

と暴力がほとんど同じものだ

 

という言い方もできる

 

オレは個人がいい