『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』において
三宅氏がのべている(引用している)新自由主義の
定義
をみてみよう
(注・引用につかわせてもらっただけで以下の
文章ではオレは新自由主義の悪口をさんざん言っているが
これは三宅さんの本の内容そのものとは何も関係ないので
念のため)
”ここで 新自由主義について簡単にまとめておこう。 新自由主義的社会とは 国家の福祉・公共サービスが縮小され 規制緩和されるとともに 市場原理が重要視される社会のことである。このような社会においては 資本主義論理 つまりは 市場の原理 こそが最も重要だとされ 国家の規制は緩和されるため 企業間の競争は激しくなる。同時に個人の誰もが市場で競争する 選手だとみなされるような状態であるため、 自己決定、自己責任が重視される。例えば 近所だから助け合う、 同じ会社だから連帯して組合を作るなどの共同体論理よりも、現代では、組織や地域に縛られず自分のやりたいようにやること 、自分の責任で自分の行動を決めることなどの個人主義が重視されている。これも 新自由主義的思想だと言えるだろう。”
ぐーぐるの音声認識は優秀だね~~オレが喋ったのほぼ間違いなく拾ってくれる(コピーしなくても読めばいいんだもの)
さてこれは三宅の定義であるが
まあそれで新自由主義ってなんじゃいなって
別に新しくないというか名前わかりにくいというか
その定義の中に「じゃあ生まれつきの障害者は現世ではただ割を食って肩身狭く生きろっていうのかね」という疑問がわくであろう
老人は退場したのだからもう幸せを追求することはかなわないというのだろう
みたいなことでね
なにが「市場こそ至上」だ
バカか
である
けっきょくなんきょくだいぼうけん
であって
べつに経済がはってんすると全員が幸せになるわけではなく
もっといえば金があっても愛は買えないのであるから
経済がはってんしたところでそんなにいいことはない
メシをくうにも食べる量の限度があるのである
美食とかよくわからん
それならベーシックインカムのために札を刷ってくれたほうがよっぽどええわどんな老人にも赤ん坊にも障害者にもひとしく配るんだぞ
今日もオレの肉体労働バイトはそこそこつかれましたね
まあでも下肢と体幹を使うのはいいことですよ