いいことですね!
もちろんオレも
人生の生きる意味など
ないと
思っていますが
だからこそ「他人のために生きる」人もいるし
「自分のために生きる」人もいるんじゃないですか
もしそれが答えが1つであれば全員がそうするので「意味」は確定する
んですけど
「人それぞれ」となったときには
回答として「人生の意味はあるか?」に答えられる人がいなくなるんですよ
きっと
オレは個人的に「すこしでも目標を立ててそれに近づけるように
すこしでもマシになっていくように死ぬまでは生きている状態で
マシな方向にむけてすすむ」ことに意味と意義があると思っているので
それをすることにしています
(これはジョセフ・ラズの『価値があるとはどのようなことか』から
学んだ)
で
やりたいことがある
ってことは
ない
って状態にくらべたら素晴らしいことですよね!つまり
目標があるってなもんです’(それをしたい)
なにしろいつ死ぬかわからない状態で生きているので
全員がそうなので
先にやりたいことやるにきまっているし
お金は地獄にもっていけないんですよ==
てな
いつもそう思うし
毎回そのように
思ったほうが気持ちがいい
と
思い直している
そして冒頭の「いつか電池がきれるまで」さんによれば
結論(のようなもの)では
人生の意味を考えたときには身体(フィジカル)がひとつの解決である
ということになっており
それはもちろんそのとおり
(だが究極の解でもない)
身体が たとえば散歩 が 身体をうごかし有酸素運動であること
と それをすることにより「精神の混迷に一定の安定がもたらされる」
のも
本当にそうなのである
オレも実感しているし実践しているので本当である
なぜそうなるかとかどうでもいい
問題は「それをできない(痛い 体力 場所 治安)人もいる」ことだ
身体は「動かしつづけるようにできている」のは
オレがPTの養成をうけ13年その職をやっていろんな人の身体(と精神)を
見て
その結果としてもそう思うのでたぶんかなり真実に近いことである
動かしつづけないと死んでしまうのである
(ホーキング博士などごく一部の人だけが
いわゆる「運動」が極度に少なくてもけっこう長生きできるが)
まあスティーブン・ホーキング氏が日常にどのくらい運動していたのか
オレは知らないのでしらんことは何もいわんほうがいいのだが
運動って名前がわるいのではないかな
もうちょっとかんたんな名づけが必要だ
たぶんね