今年最初のにちようびである
日曜日はきらいじゃない
ナレが宇多田さんで話題つくってたが
結局中身は「ふしぎなミクロの物理学」であった
そう考えると「ふしぎというのは今の我々にはよくわからない」であって
我々は遠くとか小さくとか目でみえずさわれず分からないものも
だれかがそれを解明してこうだからここまでは分かったという報告をきいて
そうなんだーーって「わかって」いくわけですが
その範囲はだんだんにひろがってしかも小さいところにも向いていった
ので
「ふるまい」が奇妙にみえてもそれはこっちの脳が奇妙だってだけのこと
かもしれないわけですね
むこうは別に考えてやってるわけじゃなくてただふるまっているだけなんだから
というほうが量子力学において「観測されるまでは存在もしていない」
ということの正しさ(ことばにするとおかしなかんじ)を表している
ことばが追いつかないだけである
われわれは限界ある生命なのでそこまでわかんないしみえないしさわれない
「わかる」ということの中にあらかじめ限界が設定されている
ミクロにおいては「保っていない」(形を)
というのが
どんなにかたそうなものであっても最終的に「分解」されるってこと
なのではないかしら
樹木は微生物が分解し
鉄は酸化して錆びてもろくなり分解して
あらゆるものは形を永遠に保つことができないというのが
「いまは形ある様子に見えているだけで実相としては分解されゆくもの」である
のであればミクロにおいて「形を保ってはいない」ほうがもともとの姿だともいえる
これがたぶん形相(エイドス)論
エイドス(ギリシア語、είδος). 外部から見た印象(外観)のことである。同義語に外見がある。外観は内部事情と相違があることが往々にしてある。
なるほどそうですね
でもすべての地球上で観測できるものが重力の影響から逃れていないなら
目にみえない「重力」を想定しないと話はおかしいというのはわかる
それが目に見えないという時点で重力も重力波も同じで
おかしいな~~と思ったところで現実の様子をひっくりかえすことはできない
量子力学ではあまりにおかしなかんじが大きすぎて多数の物理学者が
それを受け入れられなかっただけなのであった
(でもだんだん受け入れるようになってきた)
へんな話だがそれは人間の限界(思考)ってことだよね