そうなんですよ

層なんですよ朝に

あそ

そうなんですよ

麻に

朝に書いたんだけど気力というのは

新しいことをはじめる気力なんてのは

年齢とともに失われていくんですよ

ルーティンで

何も考えず昨日と同じ明日をくりかえすことだけを

かんがえれば

新しいことを考えなくてよくてラクでいいんですよ

身体だってうごかなければ

エネルギー消費がすくないんですよ

そんでもって

うごかなくなっていくんだ

 

そうなればおわりさ

 

オレが農業やるさと

やるぜと考える

そしてそれを行動にうつすだけなんだけど

まだうつしていない

市民農園の場所をかりるとかまだ

やってないアクション

おこしてない

アクションおこすのがいちばんたいへんだよね

はじめるのがたいへんはじめるえねるぎー

起動力

そう

くるまも走り始めがいちばん食うんです

アレを

ガソリンを

 

そう思いながら職場では

同僚と

たのしく話ししたり

なんとか続けてもらうためにアイデアをはなしたり

いやさ

つづけてもらわないと困るんだ

(無意味とかいってそれやめるとなると

オレのたのしみがうしなわれちゃうからね)

私利私欲そうです

あそこのアレは仕事として失いたくない

オレは私的な理由がおおきい

もちもち

あさ

ああ水曜日がきた

 

しょうじきくるしいね

 

しかし

しかしだよ

 

やるっきゃ騎士

 

なんだそれ

 

なんにしろ気力と体力のバランスはこのあたりが

さいごの最終になってもおかしくないので

ある

ほんとうにそうだね

よくわかるよ

わかる

 

失っていきそうだもの

ぞくぞくと

感想(悪口にならないように書くのがむつかしい)

「トゲアリトゲナシトゲトゲ」

3回目放送

森田(さらば)がきたが

それがまたびっくりするほどつまらない

なんというか3回目にしてこの番組が

救いようもなくつまらなくなってしまったが

森田がいなければそれなりのなにかがあるのかも

しれないと思ってまあ多分今後まだ見ると

思うけどそれでもなにかつまらないほうこうに

いきそうな気がして危惧している

相方への文句がなにかどこにも

面白さが無い(みつからない)

そういう人なんだなって思うだけで

面白いとは思えない

いやべつにおもしろいですよと

標榜しているわけではないだろうから

興味深いの意味での面白さを探してもいいんだけど

まだ1回目2回目には興味深いところがあったんだけど

3回目にはない

森田がいったいこの収録を

おもしろくしようとする意志があるのかどうかが

すごく怪しいし

面白くしていると思うのであれば莫迦だし

そういう芸風ですというなら

オレにはわからんというだけのことだろう

面白くないことをふるまいとして

していること自体が奇妙だということを目指しているなら

それはただつまらない結果を招いただけになっていると思う

実力が不足しているからつまらなくなるのではないか

森田が女性3人のところで会話するだけのスキルがないからではないか

MCとかできると思っているのだろうか

なにかこう女性3人からのリスペクトもまるでないし

女性3人からスタッフへのかんじをわざとわるくしているのか

というところもここはかんじわるいところは1回目から

ずっと雰囲気がわるくてそういうことをのこして

編集をするスタッフがそうやってわざとのこして放映しているのも

確信があるということで

そのテイストはオレはつまんないと思うし

 

せっかくちょっと「それはテレビだなあ」のような

興味ふかいところが出てきそうなのに

惜しいなあと思うばかり

感想(もうプロフェッショナルを素直にはみられない)

NHK

「プロフェッショナル」

クイズ作家の日高と矢野が登場

矢野さんは

ゆかりんラジオでおなじみの矢野さんです

そりゃーすごい作家だとは思うのよ

 

でもこの番組

プロフェッショナル

こないだ庵野カントクが出て以来

もう

プロフェッショナルという言葉も嫌いになるし

内容も

面白いところは見てないとか言われるし

密着ドキュメンタリーとかいっても

密着じゃないし

いいとこだけ編集でつくってるようにみえるし

しかし

石川佳純ちゃんでは

なんちゅうかそれなりの密着の上での信頼とか

勝ち取っているし

なんだか難儀やのう

とおもいながらみてて

そりゃーうつにもなるだろ人間だもの

と思ったり

 

オレもうつっぽかったなあと思ったり

性格的にうつになりきれなかったり

 

熊本にいまいるSさん(下の名)は元気かなあと思ったり

 

まあくまモンですよ

 

なんでもいいじゃんねえ

人生が失敗でもいいじゃんねえ

どうでもいい

性向による

 

 

感想(エッセイなるものがものすごく気持ちわるい)

たまたまで文學界を3冊連続で買っててきとうに読んでいるのだが

その中にたまたまその1冊目からはじまった

連載の

エッセイがあって

「私の身体を生きる」リレーエッセイ

だというんだが

どれもこれも

気持ち悪いという感想しか出てこないが

2回目の自慰の話はそれほど気持ちわるくなかったが

3回目の藤野可織さんのエッセイがまたこれがすごく

強度がつよすぎて気持ちわるさが

満開だった

妊娠と戦う話で

つまるところ自分の身体と自分の思考とが闘っている

のだそうだ

アンチテーゼにも読めるしそうではないものにも読める

アンチだとすれば

この世のすべての

母性なるものみたいなことと身体の不快とを

天秤にかけて母性が勝つみたいな信仰とか

カタカナでママとかいいはじめた日本人の最初のひとりとか

よくわからない

このエッセイには妊娠のことはいくらでもかいてあるが

夫なる人の個性についてとか

うまれたコドモを育児することは一切書いていない

それはすがすがしいくらい一切書いていないのだ

 

これだけオレが感想を書くのだからきっと

オレもなにか毒にあてられたに違いない

 

むかし読んだ笙野頼子の作品の

皮膚のアトピーのような増殖するなにかを

ひたすら描写されたかんじの気分の悪さを思い出したんだが

それがなんという作品だったかまったく思い出せない

作者の名前だっていま芥川賞一覧をみてやっと

思い出したくらいなので

ゆう

今日は仕事がいまいちうまく噛みあわず

まあいいです

いいんですよ

雨だし

 

食って寝よう

よう

そういう日

 

そういう日だよ

 

ラップとかなかなかオレの場合には

生活にしみてこない

なんか

こう

生活を唄うラップであっても

うわっつらにきこえてしまう

なんだろう

オレの血肉になっていないからだと思う

オレのほうの問題です

 

スーパーいって食材その他こうてくる