ネカフェなので当然まんがも読む。とりあえず「ヤング田中K一」。ああアホらし。それから、以前部屋を探しても見つからなかったものを見つける。「ここはグリーンウッド⑨」。これが「子曰く(のたまわく)」の載っている巻である。「女王の教室」を読んでいて思い出したんである。しかし、内容的には、すこーし違う感じだった再読したら。それはこういう話だ。
みなが恐れる古典の先生がいる。厳しい人である。学校は、勉強をするためだけのところだ、と宣言し、授業を真剣に受けることはもちろん、その試験などで成績の悪い場合には再提出を命じ、命じられた生徒は個人的に授業時間外(具体的には朝7時あるいは放課後4時)に先生のところに行って、暗誦課題を実演しないといけない。少しでも間違えたら出直しである。これを逃れることはできない。課題に合格せず、なおかつすっぽかしていると、親呼び出し、あるいは容赦なく赤点・留年のコースを歩むことになる。これは冗談ではないことを全員が知っている。だから全力で臨まないといけない。
しかしここに一人の生徒がいた。この方式に反発し、「学校は勉強するだけのところではない、このままでは我々は(他の授業の予習復習と合わせると一日中勉強ばかりしていることになる、我々は先生から授業の内容以外のことも学びたいしこのまま高校生活を不毛なまま過ごしたくない」と先生に意見した。先生はこれを却下した。学校は、勉強するためだけのところだ。学校というのは授業とその準備のためだけに成り立っている。それ以外のことは学校以外でやればよろしい。お前たちが学校にいるのはせいぜい8時間というところだ、それ以外の16時間のうち、8時間眠って2時間は食事や入浴に使っているとしよう、さて、のこりの6時間、おまえらは何をしているのだ?毎日6時間勉強しているというのならばうれしいのだがな。だいたい私は古典の教師であるからおまえらに古典をきちんと教えるのが務めであり、おまえらも勉強するために進学したはずなのだからそれか最もおまえたちのためになると私は思っている、勉強以外のことは社会と家庭で学べばよろしい。
話では、このあと、反発していた生徒はサボタージュをくりかえして赤点留年コースぎりぎりまで行くのだが、突然、先輩たちみなの言葉で気づく、なんだ、みんな実は何だかんだ言ってあの先生のことが好きなんじゃないですか。そうだよ、しらなかったの?反発していた生徒は、一人で反発していても誰も賛同してくれなかった理由にようやく思いいたる。みな、あの先生のことを本当は尊敬している。先生は、理想があって信念があってウソがないから誰よりも強い。みなは口ではいろいろ言うけれど慕ってもいたのだ。反発していた生徒は授業に復帰してなんとか遅れを取り戻す。こういう話だ。
さて。この話、本当は私なんぞが書き起こすよりも100倍いい話で、高校の男子しかいない寮も舞台になっててそのへん加味して未読の人はぜひ頭からネカフェで読んでみてください。
さて。私が女王の教室に期待していたものはこういうものだった。つまり、厳しくて嫌われているようで最後には慕われているという。理想と信念がありウソがない。残念ながらあのドラマはそういうもんではないようだ。ただ、理想と信念は確実にある。つまりこの人の方式についていけば大丈夫、ということが、一部の生徒からはそう思われているだろう。ただここに人間関係が入っている。生徒間、生徒と教師間の。そしてマヤはついてこない奴は知らんと言い切るところがある。平等に接する、というあらかじめフィクションである教師の聖性というのをあらかじめ放棄している。そのへんがマヤのいいところでもある。やりたい放題。自分の信念にどこまでも忠実であることは100%である。そこだけ、同じだ。