交響詩篇エウレカセブン「アクペリエンス・4」。もうあんまりいろいろ考えない方がいいのかもしれないけど。つまるところ、おおきい、何を考えてるのかよくわからない「生命体」と、共存とかしていくのか、戦ってつぶすのか、そもそも戦ってつぶせるような相手なのか、そもそも共存とかできる相手なのか。通常の「生命体」と違うのは、話ができる/できないの区分の前に、「ある特定の相手とは話ができる」という変な条件を開いているところではないか。レントンが行ったから(行くことを許可されたから)意識態としてのダイアンがスカブの考えとか意志とかを伝えてくれたわけで、たとえばこれが他の者であれば話さえできないわけだ。それはどういうことか。外国人と話すには、外国語を学ぶことで意思疎通ができるが、これは誰でも学びさえすればできる、つまり「誰」であるかを問わず、誰でもできる。可能。しかしスカブと話をするにはレントンでなければできない。個別性。いくら努力とかしても、他の人には無理。おかしい。特殊家族的親和。えり好み。
なんとなく「神」に近いものを感じる。「神」は、意味も理由もなく、えり好みをするようなものである。カインのことは拒絶しといてアベルのことは優遇する。理由なんてない。理由があるように言うサイトとか教説者とかがいるが、私は「理由なし」説に賛成。神というのはそういう理不尽な巨きい力を行使するものである。そして行使するときにはもう限りなく荒々しくふるう。「人間と融合」行動をするスカブは正に荒ぶる神のごとしである。神の裁きにも似ている。
そのくらいレベルの違うものであると思わないと、うまく話がのみこめない。最終クールになってからエウレカが人形化した顔をしていたがやっとだんだん生命体化してきたように見える、可愛さを取り戻しつつある。