人々の、スポフェスについて書いたことどもを読むのは楽しい。ほぼ同じものを見ていても感想はえらく違う。また、見ている角度でも違う。
そういうわけで一日中余韻にひたりつついろいろな場面を頭の中で再生していた。そこで思ったのは、ライブであるが、このスポフェスライブの方が最近のハロ紺のライブよりもはるかに「全員集合感」がある、みんながいるという感が、ある。それは当然のことながらみんな夫々が自分の持ち歌を歌ったからにほかならない(集合でうたった一部の人々もいることはいるが)。最近のハロ紺がそうでないということだ。スポフェスライブは、メロンもゆきどんも裕子姐さんもいいらさん℃-uteもみんな持ち歌があり持ち歌を歌ったのだった。それが本来のハロ紺である。ショーケース。そうなのだ。久しぶりに、そういうことを思い出した。新曲が久しく出ていないとかそういうことはどうでもいいのだ。
あと矢口さんが最後の方で来年は選手で出てみたいようなことを言っていたが、ライブに出ていないハローの面子ではない人は選手にはなれないと思う。そうでなければ個人で生写真という扱いにはならんだろうし来年になって急に扱いが変更になるとも思えない。なるかもしれんけどね。次にスポフェスやるときにはWが、Wがぜひとも、是非とも登場していますように。お大師さまのご加護がありますように。いや月末にお遍路にいくんで。願ってこよう。