ドクロちゃんをみながら考えた。たしかにもう自分の上にあんまりいろんなことが起こるとは思えないが、一方で時代というか時、時は間断なく流れているので、いろんなことが起きている。
そういうときに
①そのときどきの、時宜にかなった、とか、流行とか、おもしろいものをとりいれていく
②コドモをつくる。コドモにとっては世界は無時間である(過去も未来ももたない)。こどもの目線を共感したりしてるうちに、とりかえしのつかないときになるので、それまでの時間はウツになってるひまなどはなく、おまけに世間的にも常識にかなった生き方とされるのでお得。
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いやいや、結局、「学生」のリミテッドに慣れすぎたおかげで、いまここで「あー・・・ここから先はずっと同じだなー。。。。」という事態に対応できなくなっているんだよん。「学生」のあいだは、そのあとというもの(未来でもあるけれど、不確定というものでもある)があって、しかしいまここにある「そのあと」は、不確定ではあるもののなんかもう「未来」じゃないんだよ。なんだろ。輝かしくないことは前から輝かしくないままであったとしても、さて、そうねえ。ずっと同じとか、同じ場所とか、そういう時間的なことと空間的なことのうちの「同じ」という属性にどうも耐え難いものを感じる。
そんなにフリーター根性が骨の髄までしみこんでぬけなくなってしまったのかなあ。
まーアレだ、自分にみえる時間の先がどうも魅力的にみえないだけなんだなきっと。今日なんかのクイズ番組で「娘。OGチーム」とかいって、ねーさん・けーちゃん・矢口が3人組くんでたよ。あれあれ。そんなかんじで仕事してんだー。ずっとそんなかんじでいくの?