マクロスF08話。「ハイスクール・クイーン」。はじめのうちに不遇をかこつヒロインこそが最終的にあの男のハートを射止めてたのしいな。という黄金率が昔はあったと思ったのだがさて2008年、それはいまでも通用するのかね?まあ、ランカちゃんのどこがいいのかいまだにわからないのかもしれないけどねあの男は。オレだってどこがいいのかよくわかんないよ。まあそういうストーリーだ全体として。どこがいいとかそういうのは問題じゃない。じゃあなんなんだ。うーん。ナンセンス。
そういうことを言い出すと、一本スジの通った骨格がないといけないんだという主張になり、こまったなになってしまうのである。長い話ならいろいろふらふらするさ。ましてや一回一回を一週一週で放映してるわけだし、たのしかったら次も見るけど、だろ。
しかし、楽しんでいるのは事実なのだが、同時にマクロスFには、なにか根本でだらしのなさを感じてしまう。世界を構成する要素が、甘えでできているような気がする。あくまで気がするだけだが。
カイバ07話。「記憶に残らない男」。ストーリーをうまく文字にできないというのはオレがストーリーをわかってないということなのだが、わかってないというか・・・・クロニコという女の子のボディにはいっていたカイバの「記憶」が、バニラの手によって、ひきぬかれるシーンで震えた。いや「記憶」なのかどうかわからない。あのコーン(円錐)。ほんとうによくわからんのよ。とにかくバニラは死。たぶん完全な死、記憶をどこにも残さない、残らない男。カイバの世界は完全にきびしいように思う。構成要素がソリッド。バニラのような男は死すのみの運命。そういう風に描かれているようにしか見えない。不遇な男。かわいそうな男。強烈。たぶんかなりオレはこのお話をまちがってとらえているのかもしれないが、真偽のほどがわかる日も多分こないだろう。こないのならばそれは真でも偽にもならないかもしれない。
カイバ04話。「クロニコのながぐつ」。
だいたいストーリーをとびとびに見てるんだからわかるわきゃないな。しかしカイバをちゃんと見るにはちゃんと見ないといけないということだ。カイバという記憶を主体とした人格が、さまざまなボディを移りながら、というキモの部分を理解するには、とびとびで見ているとものすごく混乱する。はじめからみていれば、いちおう、いまのカイバの依巫(よりまし)が誰なのかわからない。のかな。いやそもそもオレ01話みてないぞ。はやくみれ。あと「ねえさん」は号泣するくらいならクロニコを売るのはやめればよかったと思うのだが、そもそもねえさん本人もいろいろな部分的記憶を売ってしまっているわけで、記憶を切り売りしてしまった以上トータルな人格ではないわけで、いわば責任能力喪失状態。そんな人だからこそクロニコを売ることにしてしまったということもいえるのではないか。べつにかばいたいわけでも何でもないが。
(修正・クロニコのながぐつ、は3話でした。)