やっぱりヤフオクは面倒だのうー。やめるか。
さて文句を言いながら引き続き、魔法遣い(1期)みている、3話。
また文句を言いたくなった。が、ちょっと考えると、オレの見方というのは、人間の善性をまったく信用しないので、見張っていなくてはならん、という考えに基づいていることに気づいた。だから、たとえば魔法で依頼人に宝くじの1等をあてさせる、などということをするなんて愚の骨頂だと思うわけである。なぜなら、善性に欠ける人間ならばそこでその金を私利私欲のためにのみ使うだろうから。
しかし、
そもそも魔法を依頼してくる人間など、己の私利のために依頼しているわけであり、そう考えると小山田魔法士はただしく依頼を果たしているわけである。
なんてこった。
いやしかしね。そうなると、そもそもその魔法を世のため人のために使うというところからしておかしいのである、なぜなら金をとっているから。公共サービスなのかどうか。公共サービスでも金をとるのはとるよ、たとえばゴミ袋を有料化したり。しかしゴミというのは、簡単に考えればこの世の現世でくらすならば誰でも出すものであり、まあ「みんな」のためになっているといういみでパブリックの行うこととしてはまあ正当であるといえよう。
魔法は?
魔法でなくては、叶わないのかね?
もしそれが魔法でなくては叶わないのならば、そもそもが叶わないことである以上、公共のサービスとして行うのはおかしいだろ、なぜならみんな夢みたいなことを夢みても、所詮は夢みたいだなあははははと我慢してるからである。
金で夢が叶うのかね?いやそうではない。3話の依頼人がいみじくもその話の最後で語ったように金なんぞ何の役にもたたんと。
簡単に言うなって話でもあるが、まあそれはおいといて、全般的に私の言いたいことは、納得のいかないことが多すぎるということであるこのアニメの脚本と世界設定が。本当に魔法というのはおかしなもんである。存在しないのに名前をつけられたものである。ESPもそうである。存在してるかしてないか。名前をつけて、概念の設定をすることができる。存在しないものでも。それが人間の想像力というものである。困ったもんだ。
こういうダラダラとしたくだらないことをWEBにのこすためにこの日記があって、公共的には迷惑だがオレの私利は満たされるのであった。おやすみなさい。