最近考えていること。
こないだの「バクマン。」を読み、「二割でいいんだ!」を読み、それから「といっても、全体の二割ですから(ネットでよくみかけるからって、二割とは限りませんから)」であり、「ネットやる人なんてまだ一部なんですよ」である。
 それで。
 それで、あと「ここ20年くらいのアニメが、何を題材として取り上げてきたか」を調べることによって、過ぎ去ったものとそのときどきについて考えることができるのではないかと思った。もちろん、アニメを見る人が世の中の全体から見たらごく一部であることを承知した上で。
 つまり。
 ジャンプの広大なる読者層の中で「ネットでジャンプの漫画を話題にする」のはごく一部である。それは「ネットやってる」「ジャンプ読んでる」の二つのカテゴリに重なる人が、重なるという条件を満たした上でさらに「話題になっているのを見つける」作業をしないといけない。全部それは能動的に動いてなんぼである。それが「・・・なんてまだごく一部ですよ」の意味ではないだろうか。
 しかしテレビアニメは、またちょっと違う。テレビのスイッチをつけてそのチャンネルを選ぶという作業はあるものの、はじまってしまえば時間限定ライブなだけにそこにいて受動的。目の前を流れている、それを見る。
 ん?じゃあ、バクマン。をスキになる二割ってのは「ジャンプの中の王道主人公に飽き足らずに新しいひっかかりを能動的に求める人(少数派)」なわけ?
 そこまで決め付けるのはどうもいかんような気がする。
 しかし、まあ、基本的にジャンプシステムと一般的テレビアニメって同じだと思うんだ。テレビの前にあるのは視聴率だろ。視聴率っていうのはジャンプのアンケートと同じだよな。すごく広大な視聴者の群れ。モブ。その中で反応があるところというのが結果としての「人気番組」。人気があるということは求めるものにひっかかってるということだ。
 あれ、そう、だから「結果として人気があることになった」集積してるような作品/番組というのは「求められてるもの」にリンクしているということじゃないのか。コードギアスをはじめるときに徹底したリサーチがされたというのはそういうことじゃないのか。何をつくりたいかではなく「何をつくったらひっかかるか」。
何がひっかかるかなんて千差万別である。自分がニュースサイトのづらづら並んだヘッドラインをみていてクリックするのなんてごく一部である。それがひっかかりを感じるから。
 なんかよくわからんが、ともあれ、アニメにとりあげられる題材や話というのはけっこうそれによって「この世のうつりさだめ」を見せるんじゃないかと思ったわけだ。
 まとまってないまま書いてみたが別にかまわん。