悪意

この世は悪意でいっぱいだ。malice。(maliceは「敵意」らしいぞ!でも悪意もそうだと思うんだけどねえ。ill willってゆうのもあった。)
そう思ってちょっとdictionary.comで調べてきた。このへんがネットって面白いねえ。

 desire to inflict injury, harm, or suffering on another

そうそう。悪意というのはやっぱ「他人への」がないと成り立たないよね。
 
なんでこんなことを考えていたかというと、
まあ具体的にはdan kogai氏がちきりんさんの日記に対する「意見」を書いていたのを読んで(こうやって書けは、両方知ってる人はすぐ調べられると思うが・・・アドレスを載せるのがヤなのでのせません)、実はdan氏の意見は「ある意味では正しい」のだが、それでも他人の文に対して「それは滑稽である」との表明はしないほうがいいんじゃないのかなあと思ったのである。
「AさんがBに対してそれは滑稽だという文を書いた。Cさんは、『そう言っているAさんこそが滑稽だ、Aさんの言っているその文により』と言っている」
Cさんは『Aさんも、私=Cも』という留保を付け加えているが、留保じたいはなんら味の薄まりに寄与してない。
Cさんがdan氏である。
民主主義とっている以上、国の行動に国民が主権者として責任をもたなくてはいけないのは事実だが、ちきりんさんの日記に書かれていることほとんど全部は「そういう責任が無いものとして考えてみたらこんな考えが出てきたよ」ってことである。正しさ(事実としての正しさとか、原則としての正しさ)を準拠として使うとできなくなることがたくさんある。
 
 いや、この「滑稽」の話が、誰かから誰かへの悪意だといっているわけじゃない。
 悪意を感じるのはそのdan氏のブログのコメント欄である。コメント欄には悪意が詰まっている。人から、その他人への。2ちゃんなんかの比ではなく、ブログのコメント欄くらい悪意だらけのものはこの世にないと思う。
 しかしそう考えて、改めて自分のいる「社会」を見てみると、よく考えたらこの現実の事実の集合としての「社会」は、コメント欄よりもっと悪意だらけかもしれない。
 いやほんと。自分の会社とか、普通にしてるようで悪意だらけで、いやほんとみんなつらのかわがあついよね。オレもその一人ってわけかあ。こういう話ってほんとに難しいねえ自分だけを免罪する気がなくてもどうしても免罪のニュアンスが必ず混じり入り。
 
(書かれた文章について、「結果としてその文章は、書かれていないけれど、『○○』という意図が透けて隠せないようだ」ってのが、つまりオレはキライなんだよ、同じく「あなたの行動からみてあなたの意図は《あなたは否定するだろうけど》実際○○としか考えられないものだから、その○○については拒否します」って言われるようなもんで。誰が○○だなんて言った!?)
まあ世の中ってそういうもんだよね・・・・今日のオレは増田の中の人みたいだ・・・・