やはり起きなかった

朝。しかし、4:30に起床してまだくらい朝のつめたい空気の中でDQ9やってたら気持ちよかったよ!蓼科も朝はよく見えていたよ。
 
http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090716/1247727456
コミュニケーション能力に本当に欠けるひとの他人とのつきあい方
 
http://anond.hatelabo.jp/20090719134619
弟の相談を笑っていたら死にやがったw
 
なにかしたいならば、ひとりでするべきなのか?(ひとりでできないこと以外は)
 
あたりまえのことを書いてしまった。しかし当たり前のことが当たり前なのであって、それ以外のすべてのことは当たり前ではないのだ!(定義上)
 
さて、朝から何やってんだという感じだがDQ9やってたら気分よくなって洗濯してコンビニいっていつものようにダイドーデミタスのんで朝飯くってネットいじってたらこういうリンク先が出てきてあらら。
 
さいきんオレの考えていることは、はたして、楽しくするためにもうすこし大きい範囲というか濃いことをするためにはどのようなハードルを乗り越えんといかんのかなあということである。ハードル。つまり問題点(障壁)である。
 つまり、今のところ、今のオレ装備でできることはだいたいしてると思うので、装備をより充実させるにはどうしたらええねん?という考察。もちろんその装備は金で買えない。つまり「メンタル」だと思うのである。メンタルは自分でこねくりまわして錬金することができる。しかしそのためには世界のあちこちの本棚を覗いたりレシピおぼえてみたりToDoしてみたりGTDしてみたりTIPS集めてみたりする必要がある。
 会社というのは「なにかを犠牲にするかわりにアウトプットを大きくできる」タイプである。
 一方、人間が生きたり死んだりするのは結局ひとりである。最後には。
 死ぬのもひとりである。
 その人を死なせたくなくて、セラピストだの医者だの友人だの親族だのがよってたかって何かをそこに加えてみても結局死ぬときは死ぬ。
 さっき「金で装備は買えない」と書いてみた。つまりメンタルを金によって操作することはそんなに簡単ではないということだ。
 じゃあメンタルを操作、つまり「こうなりたい」方向に、作り変えているものは何なのか。それこそがメンタルではないのか。メンタルによるメンタルの創造(自己複製ではなく)。
 つくり手と、つくられしものが、同じ手なのである。
 
 がしかし。金ではなく、セラピストや医者や友人や親族によっても(自分の)メンタルがつくられるものもあり、それは当然あるだろう、あるある。セラピストや医者には原則金を払うが、友人や親族は基本的には金以外のところで動いてくれる。
 
 で、「友人とかをつくる」のが「コミュニケーション能力」だとしたら。
 
 いやこの考えはぐるぐるまわっているな・・・・なにかつながりがあるんだが・・