まあしかし

邪魔というのはどこからでも入るわけなのである。
 
なんでもかんでも記憶として沈殿するわけではなく、特定のものだけが甦り浮かび上がる。
 
ところで伊藤真澄を聴いているいま。ニコ動で。宣伝とはしてみるものですね。
「透明な祈り」。
 
祈り。神に対して願いを届けようとする行為。「神仏に請い願うこと。」

一見、神などというあてにならないものに対して願いをとどけようとするなど徒労に過ぎないと思われる。しかし、人間の方が、よほどあてにならないばかりか、かえって願いと逆のことばかりをするものだ他人など。それをおもえば、何もしない神の方が余程ましというものである。神は罪も過ちも犯さない。犯すのは常に人間なれば。
 なので何もしない神に対して祈り
 動かない、そこにいるだけの山であればのぼることができる。
 

 何を書いているのやら。おかしい。いやちょっとね。だいたいこういうことを書きだすのは「自分で冷静になれなれと自分にいいきかせているとき」なので。
 明日は水曜日だ。なにもできない男ハヤテは今週はなにかするだろうか?なんでもできるヒナギクでも、唯一できないことは男の子の心の焦点を自分にあわせることだなあ。明日が楽しみだ。