象徴化

いま自宅にやっと帰宅してほっとしてテレビをつけずにノーパソだけ起動して、
音楽だけはないと寂しいのでZen Stoneを動かし、
タツにあたり、
日記を打っている。

 テレビがついていないと静かだ。音楽だけだ。音楽はどんな音楽でも音楽だ。
 
 民放のオリンピック報道や実況に不満を多く持つ方、たくさんいらっしゃるだろう、どんどん声を大きくしていくべきだと思う。何がじゃまって、「いけっ!」とか「もう少し!」とか言っているのである。
 おまえの個人的な情念を公共の電波にのせるとはなんたることか。
 
 
そもそも「前畑ガンバレ!」は、「思わず出てしまった声^^本当は出してはいけない種類の声」だったのだ。それがいまやもう歯止めとかないし。
 
 TVがだんだんと愈々見下される存在となり、CMが「邪魔!」といわれるようになり、とくにオリンピックのような継続したテンションが保たれる必要のある中継では、CMがはさまれるだけで「このバカ!!!!」である。罪悪クラスである。
 つまりもう民放TVにはほとんど存在意義がないのである。
 
 極論だけど。
 
 さてベッキーちゃんが出てきたからベストセレクションのタイムであるよもうTVみるから日記タイムおわり!
 
 あれもうカーリングはじまったんだー。
 ベッキー結婚してくれ。オレと。その妊婦服は何だ。    いや、やめとこ。