けっこう酷い症状だったと思うがやっとなんか休日に何をするかってかの感じが出始めていて、今日は車で往復4時間かけてココイチのカレーを食いに行くのと、図書館で福住コ2級の勉強するのだった。家はもうそろそろ昼間暑いのである。
ココイチでロースカツ野菜チーズ300g3辛2甘を試してみたが、途中でルーが足りなくなった。ルーのおかわりすればよかった。今度する。
車で走るとラジオをよくきく。今日は前にとった文化系トークラジオLIFE。音楽の話。
「参加」といわれるのである。音楽を円盤にしたものに金を出す文化はだいたい滅びたらしい。しらんけど。ネットでただで聴けるという。本当はただじゃないけど。ラジオだってただじゃない。民放はCMをきかされ、NHKは受信料なるものが発生している。
図書館で勉強。冷房はいってるかと思いきやはいってない。でも涼しい、なんとかなる。都会の図書館は学生やホームレスやおっさんで満員になるが田舎ではそうはならない。ありがたい。
「参加」はICFでの「活動/参加」もそうですがparticipation
のことで「参加・関与」であります。ICFの概念はWHOにて2001年に。
http://www.cdc.gov/nchs/data/icd/ICFoverview_FINALforWHO10Sept.pdf
貼ったリンクはCDCのものですが、これはアメリカ合衆国のアメリカ疾病予防管理センターのつくった資料ということですな。
なにを思うのか、図書館に於いて勉強していると女子中学生高校生の声話声がうるさいんですがだんだん気にならなくなる。・
そして。
休日をどうすごすのか、独身にしておっさんである身というのはクライシスに直面しており、ややもすればアルコールにおぼれオナニーばっかりして家から出ないというそれもう鬱だし不活動だしまったく健康を害することに拍車がかかる(拍車とは
”馬術において脚扶助による騎手から馬への推進の合図(扶助)を強化する副扶助のための道具である。”
ですよ。
中年サブカルは必ず鬱になる(プロインタビュアー)。 まあ菊地さんだけは「パニック障害」なので鬱とはまた違うわけですが。
とにかく。
やることがない、やりたいこともない、達成したいこともない、この先の展望もない、
となると何もしなくなるし簡単にできる精神変容(アルコールは脳内に酩酊感をつくることができる化学変化であり、オナニーは精神をいったん解放できるが体力をかなりつかう)に偏るのは無理もない。
ないが、それでもなんとか「健康に近づく」「どっちかというと健康な方にいきたい」と思うのにはわけがあってただ単に生きているだけでも生き続けていきたいわけである。
別にアル中になってもなんでも自分だけとしてはいいのであるが
そこまで堕ちていけないの理由は現状の自分のいまある在り方が
まだもって対人対応の、人の話を聞くことの、人との話をしてそしてなにか、
ケアマネもつらそうだし社会福祉士とか大変そうだし。
しかし今日わかったのは図書館で自習すること自体みたいなことはそもそもがオレに向いているということだ(専門にいた時の国家試験対策とかのカードつくって頭に放り込む作業は得意であるということか)。