外側

そのような、「世界」の様相について語るとき、外側、つまり自分の外側について語っているときに、これなら好調なんじゃないかと思う。
 なにがいいたいかというと、自分の内側について考えたり語ったりすることは大変に不透明で不健康で考えすぎでまったく毒を生み出すようなもんなんじゃないか。
 いやもちろん適度な内省は必要と思う、でもオレはオレだけでは「適度」がわからない。のでいつまでもつづけたりしてしまう。
 外側のことを語るのは大事である、というか興味をもてること、たとえば南アのことを思ったりするのもオレ的には大切。
 南アをみていると、昔みてきたマレーシアとインドネシアとかの関係を思い出す。
 東南アジア近辺も結構国境移動がゆるやかというかよく動いている地域である。インドとマレーシアの間には定期航路があり移民とかその家族とか親類とかよく移動しているし、バングラ移民はあちこちで仕事を探しているし。その中でもインドネシアとマレーシアは、あまり言語の差がない(らしい)せいか移動が盛ん、もちろんインドネシアからマレーシアへと出稼ぎがくるのである。経済格差。といってもオレの知るのはスマトラ島と半島マレーシアの間だけだが。定期航路、簡単な国境、そしてマレーからインドネシアについたとたんにうるさい客引きの猛烈な攻撃。
 なんだろ。ありありと思い出す、もう10年以上前の記憶なので現在はどうなっているかわからないけど。
 客引きがうるさいのは多分世界の過半数でそうなんだと思う、日本とかが例外なのだと思う。どうかね。