死ぬほどつかれた

と よく言います オレは。
 たしかに疲れました。
 文句いいたい。
 あたまがついていかない。
 
 さて。木曜日だ。あしたは金曜日だ。そして週末だ。短いスパンではあるが、それだけが楽しみだ。最早、楽しみは未来にしかない。未来がいまよりいいわけじゃないが、過去にいいことがあったとしても懐かしんだり回想したりしているとそれに伴って「過去のつらかったことや、もう忘れたいこととか、後悔とか」がいっしょに押し寄せてくるので、良くない。オレは未来のほうがいいと思う。
 オレはどんどん体力も気力も萎んでいくだろうがそれでも未来がいいと思う。
 
 思うに子供ではなく大人になってからまだ未来のほうが いいと思うと堂々と言うことは結構難しいのではないか。本人のことであるよ、たとえば「子供の成長が楽しみです」ではなく、本人。本人の未来。オレには本人分しかないのでオレの未来について考えているわけだが。
 
 しかし「子供のことと自分のこととを切り離して考えることはできない」という人もいるだろうし(そっちの方が大多数か?)、そういう人はそれでいいんじゃないかしらん。
 
 話かわるけど昨日の水曜Digを録音でいま聞いているわけだが、ここに登場する「海洋の汚染について地球規模で研究している学者の方」。外山アナが、素朴な疑問とか、リスナーからの質問を次々と問うていくのだが、学者の先生はたいへんに苦しそうだ。
 苦しい理由は、ひとつは日本国政府東京電力が詳細データを明らかにしないこと(調べていないのか調べられないのか調べていて隠していくのかも不明)。彼は学者なので、データがあればそれを解釈する経験をもっている。
 しかし、元がない。
 気の毒である。
 
 今日は4/7で、そろそろ1か月経とうとしている。世界最悪の原子力発電所事故であることはもう間違いないだろう。最悪というのは多分この危険を扱う責任をもつその上の方の人の人間性だと思う。が、オレがこんなところで何かを書いても何の役にもたたない。
 たたないが、とりあえずオレはそのうち田舎に帰る予定で、オレの田舎は浜松という土地であり中部電力浜岡原発から約40kmである。考えるべきことはたくさんある。オレは自分のことを考えるべきである。あとオレの父と母(浜松在住)のことを。