こういっちゃなんだが、理想を追うなんていう人は全体の中では一握りのごくわずか(5%以下)なんだろうな。
まあそれでもちゃんとやってる人はちゃんとやってる。
金曜日で仕事は終わったが土曜日曜は研修でありちっとも休まる気がしないのであった寝てたら怒られそうだしなー。
なるせここみちゃんがついったーでめずらしくせくしー写真をうpしていてこうふんした。有難い。いつもお世話になってます。
気になること。日本における株式市場の縮小縮減衰退どっちらけについて。
Digでも東証大証のいっしょ化とかやっていたが、なんだろう、日本はもう個人投資家などがやっていける場ではなく、個人でも機関投資家並みの資金力がないと、やっていけず、大衆のいろんな金を生かすところとはとても思えない、だらしない、人気のない、仕組み自体のオワコンになっているのではなかろうか。
つまり健全な資本主義ではない。
もちろん景気には循環がある。失われた○○年とかいっていつか帰ってくるように思っているのだろう。そりゃね。でもいつなのかは分からない。オレの死んだあとかもしれない。
なので、わからないことは置いておいて、まずは実現可能な。面白い、心奪われる、そういうものを探していきたい。
そういう意味では現代のAVはオレにとってすばらしいものである。
ここみんをはじめ、現代AVの姫はみんなかわいくてみんなグッとくる。最高だ。いい時代だ。でも名も無い企画の女優さんも好きなのである。
未来日記の07話をみた。殺人合戦。ゆのちゃんかわいー。ますますラストが気になるなあ。
gdgd妖精sに夢中な日々。
あまりにも散らばりすぎな日記。ちょっとまとまったことを書く。
いつも「これからどうするのか」を考えていて、そんなことを考えているのは無駄ではないのか、とも思っている。そんなことよりも現在を楽しんだり喜んだりするほうに精力をそそぐべきではないかと。
一方で、どうせこの現在はどうしようもなく、同様に未来もどうしようもないので、べつにどっちがいいとかそういうことはどうでもいいというのもある。つまりなにが楽しいのかを考えるのは無駄休みみたいな。
そんな中、楽しいこととはなにか(自分にとっての理想的状態、愉しんでいる状態)は、ちょいとはっきりしておって、
ひとつは「過去の楽しかった行った先の旅行のことの回想」であり、もうひとつは「音楽マンガ映画小説アニメ」である。
行ったところのよかったところを思うと、また知らない土地に行きたくなる。
音楽マンガ映画小説アニメはこれからもどんどん見て読んでいったらええわ。
基本的にこれらすべてはオレがそれをしようと思ったらどんどんできるものである・:
問題は「それだけでいい」とは、本当に、心の奥で、心底そう思っていないことだ。
つまりどこかに「それだけでは人間としては不完全で不十分だ」と思っているということである。いまさらまともな人間のまともなことに追随する必要など全然ないのだが、それでも、どこかで、アウトでアウトのローなままで死ぬまでいるとシヌまぎわに後悔しそうな気がするのである。
老人たちと毎日接していてなんとも、思いこみですけど、感情の乱れが認知の悪化につながると思うのである。
死ぬまぎわなんてたぶんわけわかんなくなるだろうしどうでもいいし死んだらいいじゃんとも思うのだが。
そんなことよりもっと近い未来について考えた方がいいぞ。
他人の幸福が妬ましくみえてしかたがないこととか。あかちゃんが幸福の象徴なのは実際に未来を担っているからだとか。未来の構築からはずされたピース(a piece)が他人から社会から顧みられるわけないとか。
そいうネガティブなことを日々かんがえつつこんなんではアカンわと思っているのである。
なんでこういうことを書くかな。寝るか。