よる4

政治の何がいけないのか。
 
 日経ビジネスオンラインが発信しているとこに大変大切に思えるものがあるので無断転載する。
 
 [二度と私たちのような思いはさせたくない 震災から1年、欧州で福島の人が訴え]
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120312/229736/?P=1

東京電力福島第一原発事故から1年を目の前にした3月7日、ベルギーの首都ブリュッセルにある欧州議会で、第4位の会派「緑の党・欧州自由連合」による福島原発事故から1年の会議が開かれた。

 日本からは、前福島県知事の佐藤栄佐久氏、ホットスポットになった飯舘村前田地区の酪農家、長谷川健一氏、元原子力プラント設計技術者で原子力安全専門委員の後藤政志氏、脱原発への政策提言をしているNPO、グリーンアクションのアイリーン・美穂子・スミス氏、ピースボートの川崎哲氏らが演者として出席。同会派を中心とした各国の議員、NPO、政府関係者、日本人を含む一般市民らが参加し、現在の福島の住民の苦難の現状、原発の安全対策の課題などについて意見を交わした。
今年1月、横浜で開催された「脱原発世界会議」に同会派共同代表のレベッカ・ハームズ氏が参加、福島の現状を視察したことが、この会議開催の大きなきっかけになった。

 「福島の地元の人たちは分断され、肩に重荷を負い、みな助けを求めていた。25年前のチェルノブイリ事故があったのに、また福島の事故が起きた。このような事故を二度と起こしてはならない。福島の教訓を話し合いたい。発生直後は国際社会が福島に注目し、1年ということで注目が集まっているが、福島の人がどのような状況に置かれているかは知られていないのではないか」
会議の冒頭、あいさつに立ったハームズ氏は、福島の人々が置かれた厳しい現状と、今後忘れ去られていく危険性について語り、佐藤氏、長谷川氏ら福島の人から直接話を聞くことの意義をアピールした。ハームズ氏はさらに、事故直後、住民に対して十分な情報提供や支援がなされていない現状があると指摘し、日本政府の対応を批判した。

 「原発事故は日本を内向きにしようとしている。ウクライナ、そして当時のロシア政府がチェルノブイリ事故でやってきたのと全く同じ対応。そのアプローチは理解できるが、受け入れることはできない。原子力産業がこの問題を解決できないのは恥ずかしいことだ。日本政府がもう少しオープンで、国際的なグループや国際社会の助けを借りることができれば、(福島の)子どもの状況がもっと良くなったのではないか」
「日本には54基の原発があるが、現在はこのうち2基が稼働しているのみ。それでも十分な電気が供給されている。原子力をやめ、原子力を過去のものにすることができるのではないか」と、日本が脱原発を加速するのは可能との考えを示した。同時に、事故後の対処について日本政府や欧州連合EU)加盟国に提案していく考えを示した。

原発によって壊された民主主義

原子力は民主主義の尺度を図る大切な素材。原発があることによって、民主主義が壊される。まさに日本は原子力帝国。このような事故が起きてもまだ(原発を)進めようとしている。民主主義、国民参加の視点から、大いに努力していきたい」

 「福島をあきらめない」と題して最初にスピーチした佐藤氏は、原子力原発と日本の民主主義、地方分権に焦点を当て、「原発により壊された民主主義」の現状を訴えた。

 民主主義の危機を指摘する実例として、原発の問題を指摘したところ、任期半ばで汚職事件で逮捕・起訴され、現在最高裁に上告している事件は、原発に絡む「冤罪」だと主張した。「民主主義が壊され、司法が私を逮捕するということが起きた。収賄額ゼロで収賄の認識もないのに有罪になった」。さらに発言は続く。

 「(日本政府の緊急)災害対策本部の議事録がとられていなかったが、『混乱していたから、議事録が残っていなかった』と言う。ソ連時代(のチェルノブイリ)よりもひどい体質があるから(議事録が)残っていなかったのかもしれない」

 チェルノブイリ原発事故後20年の2006年、欧州地方自治体会議により議論され、原子力政策と政府、地方自治体の役割や責任について採択した「スラヴィティチ基本原則」を引用し、「原則では、原発政策の一番の利害関係者は住民であるとうたっている。平常時であろうが、事故時であろうが、政府や原子力事業者、発電所長は、すべて情報を地方自治体に提供する義務があるとされているが、我が国では、そうなっていない」などと厳しい言葉を続けた。

 現職時代に福島県が森、川、海など自然に恵まれた環境にあることをキャッチフレーズ「うつくしま、ふくしま。」として決めた経緯について触れながら、今の福島の環境汚染の現状についても紹介した。「大変な放射能で、森、川、海がどうしようもない状態になっている。現在は森林の線量をどうするかというのが一番の問題になっている。自然環境は未来から信託されたものだが、現実にはめちゃくちゃにされた


さらに使用済み核燃料など原発施設から出る廃棄物問題についても、異議を唱えた。「日本の環境省は、アメリカと一緒に使用済み燃料をモンゴルに持って行こうとしている。これでは世代間の共生はできない。汚いものがあるから、外国に持って行こうなどということが世界の文明で許されるのだろうか」

自殺した友人の無念語る長谷川氏

飯舘村の長谷川健一氏は、震災後、村民が避難に至るまでの経緯や、放射性物質による汚染のため、それまでの日常生活と酪農を同時にあきらめなければならなくなった状況を、生々しく語った。

「私たちの飯舘村は美しい村だった。村民が一体となって村づくりを進めて、日本一美しい村づくりにも推薦され、認定も受けた。ところが、原発の爆発後、村からプルトニウムが検出された」

 「1号機、3号機と原発が続いて爆発しても、政府は『直ちに健康に影響はない』と言い続けていた。村の対策本部に放射能の状況を聞くと、『40マイクロシーベルトで、大変な数字になっている』と言われたが、その後、役場職員に呼び止められ、『その数字を口外しないように。村長にこの数字を口外するなと言われている』と言われた。私は今まで知り得た情報を地区の人たちに伝え、『飯舘村放射能がとんでもないことになっている。外に出てはダメ。特に子どもは外に出てはダメ。外に出る時には必ずマスクをするように。外出するときにはすぐシャワーを浴びて、体をきれいにして、洗濯物は外に干すな。換気扇は回すな』と言った」

 3月15日、村に来たジャーナリストの測定で、計測器が測定上限の100マイクロシーベルトで振り切れたこと、京大の教授が来て測定したら線量が極めて高かったのに村長がデータの公表を拒んだこと、村には国の専門家が次々に来て、「安全です、安心です」と言い、村民も安心してきた様子を説明。「結局、村長や村の執行部の人たちは村にしがみついた。村をゴーストタウンにしないように、村を守ると。しかしその裏で、村民は被曝していった」

 長谷川氏は、牛舎で餓死した牛の写真のスライドを見せながら、身近で起きた悲しい話を紹介した。「われわれ酪農家は、計画的避難区域の中で牛を飼ってはいけないと言われ、国、県、村によるフォローが一切ないなかで、自らの判断で酪農を辞める決断をした。私が最も恐れていたことも起きた。私の友人が『原発さえなければ。残った酪農家は原発に負けないでください』という書き置きと、7歳と5歳の息子を残して自殺した」

途中だけどもう十分だと思うので 引用おわり。
 
 ひどすぎる。これだけでも、このような「人間が管理しきれない事態」に対しての日本人の対応は最悪である、という理由だけで原発は人間には制御できないのだということから原子力などというものをもはや電気のために使うことを諦念すべきであると思う。

  「安心です、安心です」事実と違う言葉がいかにおそるべき巨大な害悪か。