よる

まああれですよ、徹底的に、考えるというか、他人のことばに耳を傾けるというか、アマゾンで本を注文するというか、それを読むというか。
 徹底的にしないとわからないし、徹底的にしたとてわかんない可能性は十分にあるが、しかし徹底的にしないといけないのである。なぜなら今のこの課題はオレのオレたる意識に深くかかわっており。
 昼に本屋で立ち読みクルージングをした、書架にはいろんな本があってどれも楽しそうだったりするしこの小さいまちにも小さいながらも人間がいていろんな人が本をみたりバイトしたりバイトどうしで私語かわしたりしていた。そしてそこでオレは思ったのだ、ジープ島にいっとけばよかったかも、と。
 それはある雑誌に南の島がうつっていて、そこに珊瑚樵がうつっていたのだった、それを見て、オレは、ああ前ののんびり職場で1週間休みをとってジープ島にいくことも可能だったな、いかなかったけどな、と思ったのだった。かわりにマレーシアでカパス島に行ったからいいです、満足してる。
 そのように突然おもいたって何かをすればその結果として何かをしたという結果と記憶は残る。
 なにもしないとなにものこらない。
 
 なりゆき上オレはどうにかこうにか生きてきて、いまはひとつの職業についており、そしてそれをおそらくは老齢になるまで続けるだろう、なぜなら他の職で金をかせぐ方法をしらないからだ。健康保険や介護保険の上でこのサービスは医療福祉の中に法的に位置づけられているのでそれでオレは食うことができる、サービス提供の側の事業者の従業員として。
 というか生きていたいならそれはそれしかなくてオレは他のことを金にむすびつけられないのである。言葉にして書くとはっきりする。
 
 まあひとつでもあればなんとかこうして生きている。本屋では美輪さんの本があって帯に生きてさえいればどうにかどうでもなるとか書いてあった。死んでなくて生きてる。斧乃木ちゃんは死んでいるけど。
 
 この週末は読書もすこししてそれに感じることもできた。
 
 本によってオレは考えを深めるとかヒントとか指針とかを得ることができる、この週末の探していたのも本だった、それは発掘されてみつかった。いま、ソファの上にある。ソファの上に置いていいのは本当に大事なものだけだ。
 
 促通、そして、筋持久力の形成。耐久性。
 
 だから引っ越し片付けは分かっているんだけど本を減らすのはちょっと躊躇があるんだよなあ。かわりに本とCDとテープ以外のすべては捨てるからというのはダメかね。ガラクタがいっぱいあるのよ。本当に・・・