よる2

2014に生まれてはじめて体験させてもらったカウンセリング的指導であるが、
 
つまるところ「なりたい自分があればそれを列記して列挙して掲げたものを毎日仰ぎ見る」生活で、それに近づく方法を考え書記し実践する、それだけのことだ。
 しかしここには大きい落とし穴があった、
 
 「なりたい自分」というのは未来像である。
 
 こんなんなれたらいいなあ。っていう。
 
 時間的制約、老い、未来についての想像力の衰えていく事態、それは40オーバーの人間にとっては生まれて初めて体験するこの事実である。
 もう未来は残り少ないし「未来」などという看板はおこがましい、「残りの時間」とか「残金」みたいなもんだ。
 
 変化はどんな人間であっても可能であるとは思うが加齢というのは人間から意欲を奪うものなのであるよ。
 
 若い人が羨ましいと思うのはそういうときだ。若い人には意欲があってそれは何をもってしても毀損されないものなのだ。堅固なのだ。
 
 毀損とか瑕疵とか、そういう「マイナスを意味する」言葉を覚えていくにつれ滲みでる加齢の勢い。
 
 今の現状を評価すれば「だいたい情けないが生きてるだけでまあよかったねあんたみたいなのが生きてるとは驚きですけどまあ生きてるってことは結果的に最低限の合格貰ったくらいじゃない?別に特別な努力とかしてないよね?ただ適当に動いてるだけじゃん>?」
 というところなのだが。
 
 なんかたまたまにあたって新しい土地で新しい出会いがあってそこで稀有な人材との出会いがあったのだが、会っただけであってオレはオレのままであってなにか変わりたいと思うならばオレがやらんといかんのよ、あくまでその「稀有な人」は「こういうかんじのすごいこと」が出来ることもありうるんだ、マジ!>*?っていう実例をオレに見せてくれるだけであって、それをオレができるかどうかなんてわかったもんじゃないし、ひょっとしたら属人的な特別なスキルなのかもしれないよ!?
 でもそれが汎用性をもったらいいなあ。オレみたいなくだらない人間でもそれに接したことでそのすばらしいスキルがオレの手からさらに他のクライアントにひろがっていったらいいんだけど。
 
 なんか図の描きかたが歪だな。(歪=いびつ)