ひるまえ

休日。というか祝日なので休日だがオレにとっては平日休日といっしょ(ややこしい)
 
朝電話がこなかったので、呼び出されることはなかった。
 
午前、洗濯、調理、米たく、納豆TKGたべる、超うまい、油揚げ白菜茄子で味噌汁つくる、うまい。
 
いい天気。
 
静か。住宅地。たまに車の音。
 
夕方に大相撲をいい気分でみられるように、出かけてくるかのう・・・・仕事をするために・・・・・とかいって気分重い。なんのために仕事しているのか。書類をPCでつくりつつ過去にうけたご指摘が蘇り、これをこう書くとアレと同じ指摘をまた受けるだろうかとか思い、字を打っては消し打っては消しである。徒労。やりたいことだけやっていると疲労しないというのは本当なのか。高橋留美子先生が「仕事の疲れがたまるとラクガキイラストを書いて気晴らしする」という伝説は本当なのか。それ同じことをしているのではないか。同じじゃないんだなこれが。
あと最近よく感じたこととしては終末期医療、「濃厚医療したくなくてもしなくちゃいけないことになっている」経済の闇要請。
 
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2015/09/post-cd21.html
「スゴ本」のDainさんが紹介する「苦しまないと、死ねない国『欧米に寝たきり老人はいない』」。
 
一番引用したいのは、
 
”テレビや新聞で紹介される、「元気なお年寄り」はレアケースだという。統計上、95歳以上は8割、100歳を超えるとほぼ全員が認知症になり、身体も言うことをきかなくなる。頭も体も元気な老人は、普通の老人ではなく、超人、スーパー老人であり、オリンピック選手のようなものだという。努力してもそうなれるものでもなく、だからこそニュースバリューがあるのだろう。” 
 
というところ。そうそう。レアケース。高橋留美子先生のような方もレアケース。誰もがそんなに「最も適した職をこなす」ことはできず、また、「いつまでも元気でいられる」こともない。金を出してもかなわないことはたくさんある。健康食品を金出して買うよりも、あたりまえのものをいろんな種類買って食って、適度に運動していればそこそこまで長生きできる、多分。そしてストレスが適度にある状態。負荷が適度にかかっている状態。
 
そもそもが長生きそれ自体を目的にして長生きするのは長生きが自己目的になっていてある意味ナンセンス。長生きすること自体が快感というならいいが。多くの人はそうではないと思われる。誰かの為に長生きしたいとかはいいとは思うが、配偶者に死なれると男性老人はたいていころっと死んでしまう、それは多分あたりまえだと思う。 
 
つまらないことにとらわれていないで、とか、もっと他のことを考えたら、とか、そこに留まっていても幸せにはなれないよ、とか、外から言うことはいくらでもできるが、人は考えたいことしか考えられないし、同じところを考えがぐるぐるまわっているのはそこでぐるぐるしていたいからと願っているからであろうて。疾病利得。
 
旅行も食事も自炊も洗濯も歩行も好きでやっているしなあ。好きなことしかしたくないのは本当だ。私権勉強だって、つみかさねてこつこつやれば試験に受かるとうれしいなって思ってやっている(今日もやった)わけで自分の好きでやってるに入る。 
 
あと壇蜜さんのラジオ(大阪で20日朝に放送された分)で「ひさしぶりに致している」ことが日記に書いてあった話が出てそれ興奮する。人の性交の話って興味ひかれる。純粋にエロい意味で。