あさの手前

あさの手前は未明である どうかな

 

0348くらいに目がさめてトイレにいき

さてどうするかでとりあえず

起き出して録画の72時間(町田の霊園)を眺める

 

しくじり先生完全版春名風花しくじり子役の巻(AbemaTV)

まだ全部見終わっていない

ツイッター上でのはるかぜちゃんの言葉はものすごく多数知っているけど

喋っているのははじめてに近いくらいの遭遇

こんな声なのね

高いわ

18歳って

なんかね

脳がそうさせるのだろう

 

他人のことはおいといて

 

今回の(20190528の)衝撃的なpoint of no returnのことでは

周囲の人々がいかに温厚であるというか篤実であるというか

接し方が有難いのみでなんか逆に申し訳ない

Nobody オレを責めるである。

 

なんというか”自己批判や再発防止のためのなぜそうなった追及”

が徹底

ではないのである

その分かえって自ら考えねばならんのことだが

 

そういうわけ

 

とりあえず31日は勤務でそのあと土日で

移動するし

長いし

逃避だし

くいものがうまいだろうと

予想はしているが

うまいだろうか

 

もはや春ではないが

北にいけばまだ春かもしれないし

 

 盛岡にいけばチャルテンの土曜ランチ営業をやっていると

思うのだけれど

いくなら荷物はコインロッカーに

いれてね

 

宮古市の味蔵のラーメン(ネギ味噌)が忘れられなくて最近脳内で

よく記憶を再生しているが

盛岡市チャルテンのカレーもしばしば

登場する

 

脳の問題

 

死ぬとか事故で

というのは紙一重でなにかを過ぎると簡単に

しんでしまうんだということを理解というか実感するためには

何が要るのか

 

という問題と 

 

この職場においてはオレはもう

脛に疵持てば茅原走らぬ

のように負い目をもつ者になっているということで

負債を返す(返せない)的なことで

なにかを変えようとか改革しようとか思わなくなり

立場的に粛々とというだけみたいな思いこみが

発生している

しているにょ

しているのよ

 

そうなん