休日の朝である
「さらざんまい」7-8-9話をまとめて観た
どうなっちゃうというか
人間が死んでいったり
裏切りを感じたり
求めたり
それは木偶でもう死んでいるゾンビ人形だとわからなかったり
恐ろしいわ
アニメ
朝になった
土曜朝はオドモTVであり
観て
オドモビートをみて
ダンスコンテストを見た
かわいい
仕事で
思ってもみなかったがコドモさんと関わるようになって
まったくもって
かわいいね
コドモさんがエネルギーの塊であることは高校のときの保険体育の
ババア教師から言葉で習ったのだが
そのことを実感として対面の経験で経験することになるとは
思ってもみなかった
(もしも自分の子ども様をクリエイションできる稀有体験があれば
そこで体験していたかもしれないが)
自分の子ども様ではないので一線がありそこをそれすることは
できないが運動機能と言葉かけ精神機能へのアプローチはあり
あるんですよ
そうですか
SNSは恐ろしいのかもしれないが
思うところとしては
感情の吐き出し口は必要で
人間が脳内だけではなくて
人間と人間という2人いるシチュで
口から吐き出すことが言葉として
他人がそこにいればそこを鏡として自分に言葉が跳ね返ってくるから
それでやっと自分がその想いを理解できる
みたいな構造があるんじゃないのか
誰もいないところではSNSがそれを行うすべになるのだが
問題はリアクションがあるかないかは気まぐれにすぎないということ
実在の人間であればそこにいてくれれば
無言であっても意味と意義があるんだけど
かように実在の人間は
そういう価値があって
こないだみたAVが革命的といいますか
おじいちゃんがねたきり老人で
だけど陰茎は勃起できるので
介護している女子高生が
絶対失敗したくない好きな男子とのセックルにむけて練習で
おじいちゃんをそこにころがしておいて
セックルの練習するんですけど
ディルドーで一人やるのとじゃたしかに
違うわ
いきている人間ですから
まあリアクションとかしないんですけど
それってほとんどゾンビですよね
ゾンビとのセックルみたいなAVは興奮できるんでしょうか?