mimei

やはりAM3時台に目が覚めるのだが

 

ところで昨日20190718

日本は京都で

京都アニメーションというアニメーション制作会社に

放火犯がガソリンをまいて火をつけて

大量のアニメーション制作者たちが死んだ

日本の宝の損失である

 

さいきんになってやっと

SHIROBAKOをアマプラで見てみたり

高畑勲展に行ったりして

朝ドラのなつぞらを見たりして

アニメーションの製作の実際を少し知る身になり

あらためてその損失の大きさも感じるところである

 

京アニの製作したもの(元請制作)

そのアニメたちにどんなに精神的に助けられていたか

改めてwikipediaをみながらおもっている

 

そのリストをみていると

AIR

にはじまり(個人史)

 

そのへんからもう

 

恋愛アドベンチャーゲーム原作であって

しかしアニメとして

なんちゅうか世界を変える

異世界

遠く離れた世界

しかし何を思っているかが

アニメをみているこっち側でもわかる

わかるかんじ

 AIRはその主題歌で

鳥の詩

である

どうにも記憶に刻まれ刻まれ

何度聴いても新鮮で

 

 

そして2006に涼宮ハルヒの憂鬱があらわれる

 

原作小説ともども

高校生が感じる世界の窮屈さと

SFの「世界が拡張する感覚」を同時に味わいながらも

朝比奈みくる先輩の甘い甘いふわふわと

エヴァのレイを思わせる(直喩)読書少女の甘美な声

明るすぎるメインキャラ

世界は一変した

 

そして

らき☆すた

を見て何これなんだろう日常系ってなんだろう

と思いながらも

かわいいの境界線についてかんがえたり

女子がそのへんでうだうだしているだけで成立するって

なんだろうとかんがえたりした

 

それから

CLANNADがあり

けいおん!

があった

 

なんだろうね全部女子のありかたがそこにあって

それを視聴者の女子も男子もおっさんもおばさんもそれを見ている

のである

 

どうしてそんなにいれこんでみていたんだろう

 

そのあと

日常

がアニメとして登場して

ギャグアニメであり

そこに友情と愛情がぜんぶ投影されていた(曲もまたそれを

直接表現してくれていた)

 

ロボットでさえもそれは愛のかわす登場人物だった

もはや猫もそうだった

設定とかわからなくてもよかった

 

そして

氷菓

があった

 

原作小説の熱烈なファンであっても

このアニメに

難癖つけることはまずできない

と思うくらいの完成度をもって

 

もはや千反田えるという人物の

ご尊顔の造形がそれ以外にありえないくらいの

イメージ焼き付けである

 

小説ですから顔なんていうのはわからないはずなのにね

どこかからなにかがその造形をつくっていった

それはキャラデザインの担当です

 

もちろん

氷菓

の世界に

オレもそこにいきたいそこにいって高校生になって

登校と下校としたい

授業もうけたい

部活動もしたい

もめごとにまきこまれたい

と願う

真のこころ

 

ハルヒの高校世界と

氷菓の高校世界と

日常の高校世界と

 

どの世界にもはいりこみたいそこにいきたい

 

世界

世界をつくるのがアニメーションの仕事で

 

ということが京アニのアニメをみているとそう思う

 

そのあとたくさんあるけど

たまこマーケット

をみていればやはりその商店街に住みたいし

そこの高校に通いたいなあと思うのであった

 

世界の小さい感情が

愛着

 

そんな素敵な人間の生活している空間に

空間を共有したい

いっしょに過ごしたいなあと思う感情

(欲望)

 がそこに生まれている

 

そんな素晴らしいものたち

 

失われたわけではないけれど

 

濃い記憶