まあでも「ありえたかもしれない」
について考える前に
このいまの一回のこれ人生リアルが
このようにいまなっていることについて
ギャンブルで
大失敗した人生となっていてもういま絶望のずんどこ
である、
合ったかもしれない可能性について考えるとぞっとするわけです
なにしろ
そうなっていてもぜんぜん不思議ではなかった
というのはいまオレはいまのリアルこれまで人生については
それなりに肯定的評価ができるようになっている
というのもすべてオレが決断した御陰だが
オレの決断は先を知らないめくら決断なので
勝算があったわけではない
そういう意味では
オレのメンターにききたいことはあるな「勝算あった?」
と
ね
まあ会うことができないので聞けないのですが
ともあれ
最低からすっこしはマシなところに一旦落ち着いたわ
よかった
でもまだじんせいがつづくのである
こまるね
そういうところ
まだ変わる
これからも
なんか
変わり得るのである
そこがね
なんとも
ある