あさ

はあ

あさっぱらから

もらった玉蜀黍(甘々娘)

茹でて食うでよう

 玉蜀黍が主食(カロリー)

な地域ってなあ

加工食品だよなあ

ある意味

 

生でもいけなくはないが

ちょっと厳しい

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E9%A3%9F

一部引用開始

日本での主食

日本にはもともと先住民アイヌの人々が住んでいた、ということが、世界的には学者の研究などによってかなり以前から認知されていたが、2008年の日本の国会における、アイヌが日本の先住民であるとの決議により、政府としてもその事実を認めることとなった

アイヌはもともと漁撈や狩猟や採集で食材を得て暮らしており、鹿、山野の採集で得られたオオウバユリの鱗茎やドングリ山菜などを食べて暮らしていた。

縄文時代の日本には、アイヌなどの先住民の人々が中心に暮らしていたわけだが、その日本に水田稲作をする人々が(続々と)入ってきたわけである。(先住民のアイヌまで稲作を始めたわけではない、ということに、一定の注意が必要である。稲作は、後から渡来した人々を中心に広がっていった、と考えたほうがよい。)。次の弥生時代になって日本は本格的な農業社会になった。

以後、「日本人」がいだく食物の価値観の中心に米が位置するようになる。米は他と較べずっと重要な意義をもつ食物とみなされるようになったのである。豊葦原瑞穂国と呼ばれる日本における国家儀礼のうち最大のものは大嘗祭である。新しい天皇によって執り行われる大嘗祭天皇の交代儀礼と臣下の服属儀礼を伴い、この儀式によって新天皇から稲霊を司る権限が付与されることになる。律令国家の頂点に立つ天皇とは、まさしく稲作の祭祀権を握る最高の司祭者であり、米文化の象徴でもあった。日本神話のなかでも米に特別な役割が与えられ、実際に古代国家の形成においても米が非常に重要な位置を占めていた

このため、日本では広く米を主食と考えてきたが、少なくとも昭和30年代(1955年-1964年)までは、多くの人たちがこれを常食することはできなかった。米を最も重要な食べ物としこれを主食とする観念は、稲作儀礼が体系的かつ広範に見られることや、山間部でも盛んに棚田が開かれていることからもうかがえ、これらは稲作や米飯への希求の表れであるが、江戸時代には政治経済の中心に米が置かれたことも大きいといえる。こうした観念に対して実生活上の主食は複数の穀物を組み合わせたものであった。水田地帯にあっても農家では昭和30年代(1955年-1964年)までは日常的には大麦の挽き割りや押し麦を混ぜた麦飯、大根飯など米に根菜類を混ぜたかて飯が普通だった。実際の主食はこのように多様で、サツマイモやトウモロコシなども17世紀ごろから盛んに作られていた。”

引用おわり

 

 

とうもろこし

小麦

 

そうねえ

3大