安定の平日早朝覚醒は0330
あちこちオードリーの
FSU宮下草薙の後編みた
ラジオは生放送で
誰にも選別されず一人のon my ownでできるから
精神衛生上とてもいい
とFSUが語り
それはオードリーと宮下草薙の
同意を得た
そういう意味かといえば
漫才なら演出家とかが最初の「観客」として
選別を行っている
つまり
TVのようなものは「編集」を経てからオンエアされるし
そこではPとかDとかが「意見」を言ってくる
そういう共同作業
漫画なら「編集者」だしね
そういうのが無い世界のほうが精神衛生上とてもいい
という話でこれはずっとつづいている
YOUTUBEで「自由に」動画をつくっていることが
精神衛生上とてもいい
と
成功者は語るだろう
TVにおける「スタッフ」がいるからいかんのだ
と
おまえらは邪魔だ
と
だんだんにそういうことが野放しになってくる
ほんとうはラジオにおいても手綱を持つやつがいるのだが
それは
実際のところは
どうなんだろうね
99の事件において(「公開説教」)
矢部が
「(岡村は)野放しにされて天狗になって
最終的には裸の王様になって
何を言ってもいいことになり
風俗発言などなどの中に
人間として人品が卑しいものがあっても誰からも
それはいかん
と
注意や意見を受けることがなくなってしまって
そして最終的に人権にかかわることの問題発言をするようになって
しまったのだ」
という大意
のやつがあったわけだがそれはそれで
真実の一端なんだろうと思う
そういうリスクを孕んでいるわけだ
自制というのがむつかしいやつである
鏡を見る
ふうむ
結局ラジオだってリスナーがいるからやっているわけで
なにもリアクションのない世界ではほんとうの独語になって
しまうからそれはいわゆる精神疾患をひきおこす
だろうて
じゃあ何が健全なのっていうとたぶん
利害関係のあるようなないような
「家族」なるもののような
直接の愛憎ではないところの
よく言うじゃないですか
恋人から夫婦になったらもう家族だから
家族とセックスするなんて いやーそんな不潔な
とか言うわけだ
そういうどういう家族の定義なんだか
それはすべてその人がどのように考えているかによる
正解もなく理想もない
諍いは定義のあいまいさの離れ具合による
そういう諍いしたくないなら家族をもたないに限る
なんのはなしになったんだ
芸能人生き残り論はどうでもよくなってきた