日本の音楽とサブスクリプションと貧困とゆるやかな低落

たとえばオレはいまようつべで

「スマイル」を聴いている

ホフディラン

 

こないだ「有吉の壁」で

うたう芸人のうしろから

ご本人登場で

「スマイル」を聴いたんだ

 

とてもよかった

 

正直これがネット回線とデバイスさえあれば

無料できけるわけだ

 

たのしい音楽

 

さいきんネットでみた記事は

いや

みてさえいない

見出しだけ

 

「無限にききたいものがきける環境で育つと」

さて

どうだって?

一曲を大切にきかなくなるって?

そうかもしれないしそうじゃないかもしれない

 

だいたい音楽だけが選択なわけがない

映画も漫画も

 

だから別にそれで音楽をたのしむ人間の質が低下する

とかそういうことはないと思うの

 

それよりももっと深刻なのは文化資本そのものについての

そもそも

たとえばネット回線をひく金がないとか

バイスを買う金がないとか

そういうことです

 

ないところにはなにもない

 

もちろんいまの日本にもそのように貧困が現実である

人がたくさんいる

という

生理用品が買えないとか

そういうレベルであれば

もはやネット通信やデバイスを購入する余裕などなかろう

 

そもそもが別にネット回線のあるなしはそもそもで

文化資本とはとくに関係がなかったんだ(昔は)

 

金もちは音楽会にいって生でいい音楽をきいていたんだ

 

本だって買うものは買うし

 

でも貧困であろうと図書館にいけば本はあるし

 

音楽はどうかね

 

音楽は必須だったのか?

文化として必ずなくてはならないものか?

オレはなくてはならないものだと思うんだけど

 

しかしなくても生きていける

 

本もなくてもいきていけるね

 

でもここで思うのは本とは知性そのものの発露だと

思うのであった

 

いま21世紀の日本の貧困というのは

図書館に本があったとしても

そこに行く気のしない貧困

ような

きがするんだ

 

音楽は

 

自分で歌えばいいのかどうなのか

 

なにもないところから生まれる歌はあるのか

 

口笛