知性なるもの(「独学大全」)

さきの記事で本について書いたが

 

結局フィクションが好きだという人も

知識を得たいという人も

基本

読むのは本である

(アニメかもしれないけどね)

 

「独学大全」

すごくゆっくり読んでいるのだが

やっと1部をよみおわることができた

2部である

 

2部はレファレンス等々のことの話なのだが

そのまえに

1部がある

 

どうすれば独学を継続することができるのか

 

2部は

何を学ぶのか

 

である

 

順番が逆みたいに見えるが

実はこれでいいのである

 

というのが著者の考えだ

 

と思う

 

歩くちからが無いと歩くことができないので

まず歩くに足る力をつけて

そしたら

おのずから

どこに向かって歩くのかと考える順番になるであろう

 

あるけないのに

どこにいこうかと考えても

結局どこにもいけないのである

 

「独学大全」はいい本なんだけど

オレが読んでいて思うのは

この本は独学について書いているようで

実際は

学ぶことそのものをやめられない営為について書いている

のではないか

と思えてくる

学校

なる

装置が

実は学ぶことについては今のところ

多くの人に当てはまるような学ぶことの方法として

かなりアタリだということ

 (他の方法では人間というものは

  そんなにうまく学びを続けることができないということ)

集合として寄り集まって学ぶ必要があるということ

人が人といることではじめて営為がなりたつということ

などなどである

感動的ですらある

 

ネットなるものがこの30年くらいで勃興して

なんかそういうものにまつわるものが

関係するものが

世界を支配するようになって

 

中国(ネットに経済活動のフィールドを置いた国)信用スコアとか経済そのものだよね

アマゾン(ネットで販売する会社)なんでも売るよ

グーグル(ネットですることの一つ目を検索ですよとデマを広めていたら本当になってしまった会社)もっといろんなのを広めてやればいい

フェイスブック(ネットで知り合いの輪をひろげたかった会社)知り合いが知り合いと連絡とるならうちを経由すればいいよ!

アップル(ネットにつながるデバイスをつくってそれからつながることそのものによりデバイスよりもネットで送ってやりとりできるものを売ることにしてそれからなんでもネットにつなげていけば仕事が無限になるぞとかんがえた人の会社)デバイスはないと困るでしょうからできるだけ高いものにしていきましょう

 

みたいな

 

それだけいろいろやっていても

 

結局のところ

学ぶことそのものについては

多くの人は一人ではできないしネットだけを使っていても

学ぶことそのものはできないようなのだ

 

いや学校いかない天才とかは自分でそれできるのかも

しれませんけどね(例・オードリー・タン氏)

 

我々は99%に属する凡人なので学校を必要とした

のだった

 

そして学ぶ

 

学校を出てしまった凡人がそこからでも

学びたい

と思うときにはそれなりの学校によらない技術が必要だ

 

というか学んでいかないと

新しいことも違うことも知らないことも

日々

死ぬまでは学んでいかないと

すぐ

死んでしまうのである

 

とかね

 

ネットじゃできないことと

ネットでできることを

峻別するのは至難の業であるが

 

できなくもない