あさ2のつづき

つまり

「地域に住んで地域の住民としてそこの一員となる」こと

の新規参入コストの話である

 

いやさコストを払う気はこっちにはあるんだけど

はたして払ったものを受け取ってもらえるか)(つまり

受け入れてもらえるかどうかが

不確定性がものすごく高い)(不透明度が高すぎる)

という話なのである

 

もちろん天秤があっちにころべば

土地借りる方策にもつながる素晴らしいよい展開なのであるが

 

コストね

 

コストというより

「ベネフィット」と考えるべきなんだろうとはわかっている

性善説

 

そらそーだ性悪説で立ち向かうのは荒野の

いのちだいじに

だけである

 

敵と話が通じないとかね

 

そのへんな

 

 

ポイントとして

「そこの場所が特に好きだから(どんな苦労をしても)そこの一員に

なりたい」というなら話は別である

 

しかしそんなに突然特定の場所を「好きになる」ほうが

どっちかというとマレなのである

 

だから「何かに適している」「いい景色がある」「適度に涼しい」

「災害に強い」「不便だがそこそこ静かだ」「落ち着いている」

「街道沿いではないので車がうるさくない」

などなど

ちょっとしたポイントの積み重ねが

あるわけである

 

あとは偶々の偶然でこっちのほうが数としては多く

たまたま就職先がその地だった

 

とか

仕事の場所がそこだった

とかね

 

そこにいる人がいてその人が

いい人だったからそこにいるのもいいねとなってきた

とかね

時間による醸成

 

そういうこともあるだろう

 

それ以外では人間はどこにでも慣れることができるし

実際そのように「慣れてしまう」ことのほうが惰性でそのように

流されてそうして慣れていって

うごくのも面倒だな

 

と思うようにもなるのである

 

しかし野望としては

 

流されてきたからこそ

最終的に

「もうここからひっこしはしない」

というそれは通称終の棲家といわれるばしょ

落ち着いて死に支度をするという

これもまたそれが定め

というか「落ち着きたい」と思うこころって

そういうことなんじゃないの死に場所を探す

というかね

家建てるのってそういうことでしょ究極的には

 

死を意識する

 

しししし