つまり
「地域に住んで地域の住民としてそこの一員となる」こと
の新規参入コストの話である
いやさコストを払う気はこっちにはあるんだけど
はたして払ったものを受け取ってもらえるか)(つまり
受け入れてもらえるかどうかが
不確定性がものすごく高い)(不透明度が高すぎる)
という話なのである
もちろん天秤があっちにころべば
土地借りる方策にもつながる素晴らしいよい展開なのであるが
コストね
コストというより
「ベネフィット」と考えるべきなんだろうとはわかっている
そらそーだ性悪説で立ち向かうのは荒野の
いのちだいじに
だけである
敵と話が通じないとかね
そのへんな
ポイントとして
「そこの場所が特に好きだから(どんな苦労をしても)そこの一員に
なりたい」というなら話は別である
しかしそんなに突然特定の場所を「好きになる」ほうが
どっちかというとマレなのである
稀
だから「何かに適している」「いい景色がある」「適度に涼しい」
「災害に強い」「不便だがそこそこ静かだ」「落ち着いている」
「街道沿いではないので車がうるさくない」
などなど
ちょっとしたポイントの積み重ねが
あるわけである
あとは偶々の偶然でこっちのほうが数としては多く
たまたま就職先がその地だった
とか
仕事の場所がそこだった
とかね
そこにいる人がいてその人が
いい人だったからそこにいるのもいいねとなってきた
とかね
時間による醸成
そういうこともあるだろう
それ以外では人間はどこにでも慣れることができるし
実際そのように「慣れてしまう」ことのほうが惰性でそのように
流されてそうして慣れていって
うごくのも面倒だな
と思うようにもなるのである
しかし野望としては
流されてきたからこそ
最終的に
「もうここからひっこしはしない」
というそれは通称終の棲家といわれるばしょ
に
落ち着いて死に支度をするという
これもまたそれが定め
というか「落ち着きたい」と思うこころって
そういうことなんじゃないの死に場所を探す
というかね
家建てるのってそういうことでしょ究極的には
死を意識する
しししし