まあそれで
伊藤比呂美さんが大学で詩の授業をやっているのね
あなたのセックスを書け
なんでも書け
ルールをやぶれ
というのである
(もちろんルールを知ることもあってそこから破るんだろうけど)
あとで伊藤氏は
「自分は大変なときに書くことできりひらいてきた」というので
ある
それは書くことがどのように自分に影響したか
は
自分で書かないとわかんないだろう
あとは死ぬまでは生きている
というのがあって
これは
これは自分が死んだことないからわかんないだろと
いうのであるが
それなら仏典とか意味ないことになってしまうので
背理法的に意味があるのである
死ぬまでは生きているというのは人が誰かの死
を観たり触ったりすればわかると思うのである
生きているけどあるときに死ぬがしかし
死ぬというのはデジタル的に死ぬのではなくて
たしかに息が止まるとか心音が消えるとか瞳孔が拡大するとか
あるけど
まだ死んだばかりの人間はあたたかい体温があって
まるで生きているようだ
それは経験することで分かるのだが
経験しないとわかんないかもしれないし
本でわかるかもしれないし
ぴんとこないかもしれない
本でわかるというのは
本でわかるための能力というのがあって
それは本を読むことでしか身につかないのである
泳ぎ方は泳ぐことでしか身につかない
)(自転車は自転車のることでしか)
なんでもそうなので多分これは汎用性のある真理だと思うんだが
そういういみで言葉とか
書かれたことば
描かれた絵
つくられた漫画(漫画と映画は複合芸術)
ミュージカルは複合芸術?演劇?
なんでもいいんだけど
ただ生きているだけでフィクションを一切
読まず観ずという人もいるのである
(いるらしいよ)
まあ
そうだね
ともあれなんでも1時間のTVをみるというのは
充実したもんだよ
犬かわいいね
猫もかわいいけど
TVに犬も猫もうつるよ
父母が死んで実家をそうぞくして
ひとりで
大きい家に住んで大きい本棚を
最大限活用できるっていいね
憧れる
オレもそうしたい
なかなかそうならない
たぶん
まにあわないね