もちろんいくら秋が朝で
爽やかで
すごしやすいのだとしても
もう後顧の憂いは無いということはなく
一点の曇りもない晴れやかな気分というのももうない
コドモではなくなってしまったし
ある意味でここがアレだ人生の頂点だなあという感覚は
もう2017に感じてしまったし
あれは2017だったのか
そうだったような気がする
なのでここにいる分はおまけだし
おまけだとしても肉体と精神の衰えは
進みに進んでいくし現在進行形である
肉体は耐久性が低下し
関節や筋肉は痛むし
肝臓能力もていか
肝臓でいえばそれは精神的にコントロールがききにくいようすがあった
からこその低下でもある
アルコール摂取のコントロールが効かないことによって
依存が生まれるのは本当にこわい
オレがまだ依存の最中で
死ぬまで依存は脳の中でつづくので
断酒も一生つづくとおもえば
それはあるいみでいまは「荒野を歩くがごとし」と
思っているが
それでも朝になんの二日酔いもなく
アルコールをまだ分解しきれていない感覚もなく
安心して自動車も運転できるのは
いいこと以外のなにものでもない
そういう意味で後顧の憂いもあるし
空の天空に一点の曇りはあるけれども
あってもいいじゃねえのしょうがないあるんだから
自動車事故をやってみたりそれは自分の
その場の状況判断と精神のキャパシティで
周囲の環境を見て知る操作する能力の低下だし
それがもっと重大なことを起こす可能性もあることにあとで
気が付けは戦慄する
ふるえおののく
そういうアナというか陥穽というか
ひっかかってそれで大ダメージをうけることはたくさんある
一方で4050の若い身でなぜか
悪性腫瘍とか
脳梗塞など
死んだり大きいダメージが予後にのこったりする人も
仕事上でたくさん見てきて
みてきたし会話もしてどうしても会話から先にすすめないことも
たくさんあり(ほとんどそうだ)
自分がそっちの重大な疾患疾病のアフターを生きる身になったとしたら
どういうことを思うのか
昨日はTVで
元医師で
ALSになってしまい
絶望で死ぬことしかかんがえなかった人のやつを
やっていた
彼はいまも生きているが
家族とボランティアの支えなしではいきられない
自分でしゃべれないし
酸素もいつも必要だ
避難行動だって5~6人がかりだ
でも生きてるんである
子供さんもいるんだって
そういう彼に「もう遺伝子ものこしたしやることはやったよあとは安心して死んでいきなさい」なんて
言える人間がいるものか
誰もそんなことはいえない
訪問看護の連中は
やすらかにしずかになるべくくるしまないで
麻薬など鎮静の力もつかって
看取る家族の精神的負担がなるべくすくなくなるように
周囲のサポートうけいれられるように
お話して
なんでも相談してといい
身辺のケアや清拭などして
医者との間をつなぎ
オレは看護師が万能なんておもわないけど
いまいる環境だと看護師がいればそれで事足りるのであれば
リハ職はいらないのではないかとさえ思う
それでもういいんじゃないかと思う仕事なんぞ
他のなんでもいいんじゃないかと思う
なんぞ
なんぞです
まあオレが傷つきたくないと思うこころのこともある
看護師のいない環境ではそこにいる人間が全てやらねばならんのだが
やれやれ
なんでもランダムに書くのもたまにはいいが
せっかくの秋のさわやかな朝なのにね
思い悩むことは尽きぬ
誰でもそうでしょう
したいことははやめに