あさー3つー何者にもなれない

あさですね

 

いろいろと感じ入るところももままり

3つくらいにしておく

きりがないので

まずほとんど多くの全ての

凡たる人民は「何者にもなれない」のが当たり前である

「何者」というのは朝井リョウの小説のタイトルにもなったが

オレはまだ読んでないけど

結局だれかが誰かを「何者かに成った」と認めるのはあるんだろうけど

そんなんどうでもええんや

オレがオレを見たときにいまこうなっているとか

ここまではなんとか生きて生き延びたところだとか

そのくらいしか確実なことなどないし

誰かの基準でこれが「何かを確立した」とか誰かが言ったとて何の役にも

立たないのである

基準があるとすれば自らを基準とするしかない

自分に恥ずかしくないとかそういうことだ

 

その上で

 

コドモはオトナになるまでの間にいろいろと

考え

尊敬し

学び

吸収していく

それは好みというものがあって

教科書があろうともなかろうとも

何かを身につけていくのである

親戚に向かって「話したい」ことがあることはとてもいいことだね

 

その上でなにかを身につけたとてそれが世間でお金になるかならないかは

世間のほうが決めることなので

実際にお金がたくさんになることもあるだろうし全然もうからないこともあるだろう

金がなくてもこの世は生きていけることになっているが

生活保護を手にいれるのはなかなか大変なので

できればそれ以外でなにかこう儲かるそしてそれで食い物を買えるように

なればいいよねあるいは食い物を誰かがギフトもってきてくれるか

食い物を育ててそれをくう技術と土地があるといいよね

なんでもいいわね

 

なんにせよ「誰か」が何かを言うたとてそんなんしらんわ

 

ぁぃぁぃさんもそう言うてたよ(ツイートは貼らないが)