あさですね
いろいろと感じ入るところももままり
3つくらいにしておく
きりがないので
一人前にならんでも、何も為せずともええやんけ。叔父は20代から30年ろくに働いとらん。家族もおらん。山奥の小屋で猫と暮らしとる。バイトしたりして、満額には届かんが今年ようやく年金暮らしになる。おれには良くしてくれた。いま行く高校のない中三のガキに勉強を教えとる。おれは尊敬しとる。
— えりぞ (@erizomu) 2022年1月4日
「そろそろ顔出さなくなる年頃かもねぇ」と夫と話していた小4の姪っ子が、他の子たちが夢中になっているテレビゲームに見向きもしないで私の横に座ってずっとおしゃべりしてきてくれてかわいかった。盆も正月も当分来るつもりらしい。YouTubeで学んだフェイスマスクの正しい使い方を教えてもらった。
— 丸原 (@maruharappa) 2022年1月2日
ちょっと分かってきたのだけど、この歳(アラフィフ)になると何やっても褒められないのが基本になるので、結構不安になるんですよね、きっと。だからこれくらいの年齢で新たに承認欲求を拗らせる人をよく見るような気がする。気をつけましょうね。
— 河野真太郎/Shintaro Kono『暗い世界』発売中! (@shintak400) 2022年1月3日
まずほとんど多くの全ての
凡たる人民は「何者にもなれない」のが当たり前である
「何者」というのは朝井リョウの小説のタイトルにもなったが
オレはまだ読んでないけど
結局だれかが誰かを「何者かに成った」と認めるのはあるんだろうけど
そんなんどうでもええんや
オレがオレを見たときにいまこうなっているとか
ここまではなんとか生きて生き延びたところだとか
そのくらいしか確実なことなどないし
誰かの基準でこれが「何かを確立した」とか誰かが言ったとて何の役にも
立たないのである
基準があるとすれば自らを基準とするしかない
自分に恥ずかしくないとかそういうことだ
その上で
コドモはオトナになるまでの間にいろいろと
考え
尊敬し
学び
吸収していく
それは好みというものがあって
教科書があろうともなかろうとも
何かを身につけていくのである
親戚に向かって「話したい」ことがあることはとてもいいことだね
その上でなにかを身につけたとてそれが世間でお金になるかならないかは
世間のほうが決めることなので
実際にお金がたくさんになることもあるだろうし全然もうからないこともあるだろう
金がなくてもこの世は生きていけることになっているが
生活保護を手にいれるのはなかなか大変なので
できればそれ以外でなにかこう儲かるそしてそれで食い物を買えるように
なればいいよねあるいは食い物を誰かがギフトもってきてくれるか
食い物を育ててそれをくう技術と土地があるといいよね
なんでもいいわね
なんにせよ「誰か」が何かを言うたとてそんなんしらんわ
ぁぃぁぃさんもそう言うてたよ(ツイートは貼らないが)