特に考えない

考えないというのは別のことを考えているということだ

いまアレでR-1をみているんだが

吉住が

まあこういうのまえからやっていると思うんだけど

それにしてもこうなんというか

吉住は愛すべき人材だなあ

 

そうおもいながらなぜ

ZAZYが負けてしんいちがR-1王者となったのかを

考えている

(オレはどっちも王者にふさわしくないと考えており吉住が

なるべきだったと思っている)

 

あと

賤民とされる条件は何だったのかを考えている

そうじとか死体(人間・動物)にかかわること

塵にかかわること

警察とか死刑執行人とかのこと

 

あと宗教者に金を払う理由を考えている

 

なぜ墓について国が法律をつくっているのか考えている

骨だけ持っていて埋葬しなくても罪じゃないよね>?

 

この3つ

賤民(とされる人)の条件

宗教(を行う人)と金銭

墓(モノ)

は つながっていて

 

賤民は死体に関係するのに虐げられる

宗教者(弔い)は死体に関係するのに金を受け取る

死体は墓に入れられるが

死体はある意味ではただのゴミだ

ゴミを集める職はある意味虐げられるが

ゴミではなくて死体ですと言った瞬間に扱うのは宗教者になり

死体から皮を剥ぐ仕事は虐げられ

それは動物の死体だというけれど

人間の死体は焼くだけで皮は燃えてしまう

動物は食うが

人間の死体は骨になってから墓というところに入れることになって

でも昔はというと

昔から例外的に墓というものがあって

それを場所を決めて弔うことにしていた

つまり人間は古代から食う寝るあそぶ狩りする農業するそして弔う

弔うこと自体はそれをしなくても生きていけるのに象徴的にそれをしている

しているということは目的があるはずで

それは人間が社会を形成する動物であることに関係があるはずだ

もうこの話は既に文化人類学などにより研究されて結論が出ているはずだ

でもなんか不思議なんだよいまの現代の人間は

こころから宗教について弔いが必要であるのは「他人がそれを必要だと

考えているから仕方なくつきあう」と思っているように思うのだ

本人は「オレはどうでもいいんだけどさあ」と思っているようなのだ