たとえばアトロクは20220316の特集が「ゴドーを待ちながら」って
何って特集で
これはすごく濃いやつで
専門家がやってきて「ベケットは別に格調高くない」からはじまり
ベケットのエロさや格調低さを出したい
という新訳について語るのである(専門家は岡室先生、早稲田演劇博物館館長)
しかし
「待つしかできないこと」もあれば
交霊会で降霊術
それはひたすら待つことだよね
そこからドライブ・マイ・カー(映画)のほうにも話はいくし
どうとでも解釈できるようなひろがるをあらかじめ用意する仕立てとか
専門家の手にかかれば
もちろんそれは作品として定評があるものなんだけど
なぜそれがすごく人の興味をひいて長年上演されつづけているのかとか
ちょっとそれがみえてくるというか
あとベケットという人のおそろしいような演者いじめにもみえる特質とか
口だけ緞帳の前に出て体はその後ろとか
あたまおかしい
くらいのレベルのアイデアをね
かと思えば今日は昼間に
100分名著のエドガー・アラン・ポーの第2回をみてたんだが
これがまたおもしろくて
「アッシャー家の崩壊」ついての話だったんだがこれが
ホラーの元祖というか
美女が死ぬというアイデアの元祖というか
ゴシックホラーであり
超自然であり
散文の中に詩をもちこむ(歌の歌詞として)とか
妹はじつは双子とか
それがよみがえるとか
スティーブン・キングもこれがなければシャイニングを書かなかっただろうとか
もうすごいのね
あとポーはこういう小説は1時間でよめる分量であるべきとか
いってたというし
それは
親がシェイクスピア役者で
いつも「観客」のことをあたまにおいていた
とかね
で
酒のみで
社会的にははみだしものという
なんかこうやっぱり
昔から今にかけていきのこるものをつくる人は
並大抵ではないというかね
そういうのを調べたり研究したり考えたりするのって
それだけで面白いじゃんねとまた改めておもうのであった