よんだ

梨木果歩

『やがて満ちてくる光の』

の中に収録された

「家の渡り」を読んだ

 

すごくいい家と土地があるが

高すぎて買えず

他の人の手にわたるのだが

その家に住んでいた人と

建築設計者と

住んでいた夫婦のうちの妻(京都出身)と

住んでいた夫婦のうちの夫はもとフェリス女学院が山手にあった

ときの総長の人でキリスト教者で

キリスト教が日本でそしてキリスト教者の中の「厳しい父」のイメージは

ついに日本に根がつくことはなく

なぜなら日本の父はそういったものではないから

西洋のキリスト教者の父は厳しくこれから屠る羊を選別する父である

のような

つまりもともと梨木はキリスト教について考えていたもので

それと家と土地と植物とが関連して考えていたことを

そこに書いている

のだそうな

 

それもまたあるいみでのスピリチュアルなものとは違うもので

ファンタジーのものであるといいきるのも違うような気がして

じゃあなんだというと

小説家になったのだから小説の形でそれはあらわされるのであって

他のなにかであらわされるものではないのだと思うが

 

コンクリの土台(基礎)がしっかりしていると

白アリの心配をしなくてよくなる

のだろうか