ありえなかったことはありえなかった

思考実験

というのは気持ちわるいなあと思うこともあるが

 

「ありえたかもしれない」と言われても

実際には現在現時点でそれは「ない」のだから

想像もできないし

想像できないのはオレの想像力の貧困でございますが

だからといってオレが貧困であることと

想像力の貧困とは直接関係がないので

ほっとけバーカという話である

 

ゆたかな生活とか幸福みちあふれたとか

いうときにそれは何かと比較しているのかそれとも比較もなく絶対的なまごうかたなき基準でもあるのかその幸福に

 

と思ってしまうのはオレが「いまあるこの現在にたどりついたルートこそが唯一の現実である」と思い信じて確信しているからである

 

だからありえなかったことについて後悔することはないが

「それは欲しかったかもしれない」と思うことは

 

2つくらいあって

 

ひとつは

たまに食事を他人様といっしょに喋りながら摂ることで

(なぜならそれは楽しかったからだ)

もうひとつは幼児とあそぶと幼児は遠慮がないので突撃してくることだ

(なぜならそれは楽しかったからだ)

 

この2点は偶々のラッキーでオレに訪れたものなので

ラッキーに感謝したうえで奉納して

神に捧げてしまっておくので

もう現在とかその他の時空に登場することはない

これはいわば中がブラックホールになっている宝石箱であり

そこに入れたものは他の時空へと

もういってしまって戻ってはこないのである

 

まあそうでなくてもたいていのものは戻ってくることなどないのである

後悔などしないが吉である