映画「三姉妹」について

この前の記事の「映画終了メモ」も参照のこと

さて

 

さて

 

週刊文春の監督インタビューで興味をもって

みてきたが

なんかインタビューの印象とぜんぜんちがうのう

 

まあいいけど

 

えっと

 

・気持ちわるいのか気味悪いのか

三姉妹は誰が何番目かわかんないところからはじまるが

とまれ

どうしようもない酒びたりの劇作家の女がいて

えらくきたない顔をしてる

その人が電話する先は

少なくとも姉なんだろう

つまり上

年長の女きょうだいは

だよね

まあのちにそれは二女だとわかるのだが

二女は家庭がありそれは裕福なのだが

なんか過剰なのはキリスト教へのイレ込みであって

ほとんどカルトへの傾倒であり

献金も10分の1なのである

そして二女はそのコドモにもお祈りを強制するのだが

わかんないのが

男児と女児がいて

女児のほうがお祈りができない

というのだが

それはなぜなのかが映画の中ではよくわからない

女児のもつ考えや思想によってお祈りはできない

ということなのかなと想像していたが

最後までみるとそうでもないらしい

素直じゃないコドモというわけでもなく

じゃあなんでお祈りを家族とともにしなかったのかな

と思う

まあいいけど

(後記

よくない

わからないことが多分重要なところ

なぜお祈りしないのか?

 

そしてあとはこのお祈り強制場面での二女の

「一家の支配者」としてふるまうところですね

あとから考えればそれは

支配されてきた娘として

同じことを今度は家族に対して支配を行っている

という

育ったー同じことー育てる

みたいな意趣返しのような感じも感じる

別に娘可愛さでお祈りできるように教育しているのではなく

単に支配したいからしているだけのように見えるのである

 

そう考えると二女のキリスト教カルト教団への傾倒は

あれは宗教心が強いとか信仰とかではなくて

大きい力とか神とか支配する環境とか

ヒエラルキーがしっかりしている組織とか

そういう場所で一定の地位を占めていることこそが二女にとっては

重要なものであって(なぜならそのことにおそらく二女はよろこびを

かんじている)

別にそれが宗教だったとしても他のものだったとしても代替可能なのである

ポイントはそれがおおきい「家父長的な権威をトップにおいている組織」

であることだけだ

彼女はつまり支配層になりたいということである

おそらくは

そう

 

 

 

まあ二女は家庭が裕福で成功しているのかと

おもいきやダンナはキリスト教教会にいる仲間のうちの

若い美人な娘と不倫セックスしているのね

(この美人な娘はこの映画で唯一の「かわいい」であるが

無垢でかわいい存在なんかは二女に攻撃されて撃退されてしまうのである

つまりスズメバチにねらわれたはちどりみたいなもんで

どうなのかねこの比喩は・・・)

 

 

あと長女はガンだ

長女の娘はなんか反抗しているデブだし

デブって侮蔑用語ですね

でも実際マヨネーズを舐めるのが嗜癖になってるのは

デブ一直線だろ

 

ともかく世界は軋んでおり

誰も幸せが温厚であるような人生を歩んでいないのである

それは本人たちのせいなのか育った家族のせいなのか

それとも韓国社会全体のせいなのか

 

映画によれば最終的にはクライマックスで

ある種のカタルシスはあるのだが

三姉妹の父はアルコールのんで暴力をふるう人間だったので

それがまた偏っていて

 

なんだろうね

 

記憶の断片は最終的に回収されるのだが

記憶がとちゅうで曖昧でなかなか出てこないという

エピソードが2つちりばめられている

 

まあ感想なのでなんでも書くが

 

三女が

どうしてこういうとつぜん大きい声を出したり

幼児的なふるまい(からむ)とか

電話をかけまくっては一方的に喋るとか

怒鳴るとか

そういうのが奇矯であるキャラ

出したのはなんでかなあと思ったが

そのくらいじゃないと三姉妹でのバランスがとれないから

なのかなあと最終的には思った

この映画は父の暴力も

そして三姉妹のそれぞれの部分での暴力も

はげしいものなので

勿論二女だって暴力をふるうし

長女は自分自身に対しての暴力をふるう

(正直なんで股を自傷するのかわからなかったが)

 

そういう映画だ

かわっている

かわっているな

 

まあ父は老いて

ガラスに額をぶつけて自ら流血するくらいはするのだが

直で子供に謝罪することもない

 

問題はなにも解決しないし

こわれた二女の家庭はかいふくしないし

 

ガンがなおるわけでもないのである

 

しかしエンディングで三姉妹は

それなりに笑顔をみせるそういうことが最後には

あるというのが映画での当面のおわりだ

人生はまだそこからもつづくし

解決していない問題は死ぬまでも解決しないだろうと

思うけどね

 

まあとにかく

やさしさみたいなものはちょっとだけしか

登場しないのである

そうだなあ

居心地の悪さだったらわんさか登場するよ

 

それだ

 

だから最終的に破綻すると大声でみながそれぞれ叫ぶ

はめになるのだ

 

映画の「全員集合」理論だね