日曜朝

くもっていた

朝散歩した

そこまでは回復した’(よく寝たから)

 

寝るにかぎる

山は逃げないさあ

運転眠いのは時間にとらわれてるからだ

時間に余裕があればねむいときはPAや安全なところで寝る

だけのことである

 

駐車場が満車になるのは週休2日が揃っているからであって

みんな揃ってなんてのが不条理で

 

まあいいけど

 

野望計画は自由業を確立させることだね

やとわれなんて嫌にきまってるだれでもいやに決まってるそれが

オレの常識だ

常識を理由とするのはなにも根拠を定示していないと

同じことなので

オレの信心であるといえるそうオレは信じている揃って他人と揃うなんて

そんな気持ち悪いことはやめちまえと

 

ねえ

べつに小説を書いて信仰告白したいわけじゃないので

あくまでそれは生産物をつくって売って儲けたいだけなんだ個人事業主

ただそれが

人の言うところでは

芸術とか才能とか努力とかクリエイティブであるとか

かなり稀なジャンル

というのであってそれが売れるのはそれを出来る人が少なくて

しかも権威(政治的な)をもつ出版社なるものがそれを出版する

仲介業者がいるので仲介業者がたまたまそこでの選別権をもつ

かのようにふるまっている

のである(かのようにというのはどっちかわからんということ)

 

テレビタレントがテレビに出る出ないを決めるのは誰なのかということと

金を出しているスポンサーが誰なのかということは

それぞれ別の場所にいて

それで中間業者としての広告代理店が

あたかも選別権をもつやつのようにふるまっているだけのことで

 

テレビの場合は「多くの人間からの興味関心をあつめる」

「多くの人間からの好感度をあつめる」ことが尺度になるので

こっちは芸術であるとかそういういいかたが

されない

 

そもそも経済として金ががっぽがっぷ儲かってるという尺度と

芸術としての”芸術度”が高いので尊敬される

 

というこの2つを並べてここに置いてみただけでも

どっちも

両方くだらなくてアホらしくてばかばかしくて

そんなことを商売にしているのか!”!!!!

驚愕である

 

しかしそうなると商売というものはすべて

「そんなもの」なのである

 

体を売るのも商売だし

 

そして商売とは別のルールでうごいているのが奴隷なので

 

商売と奴隷は別のルールで動いている

 

人間社会っておかしいというかヘンというか

どうしようもなくおかしくて醜悪なことばかりを

昔から民族的奇習習俗としてつづけているのだなあと

思うばかりである

 

オレは芸術ってなんだろうということと

芸術が金になるのはどうしてかしら?を

考えているのである

 

オレが個人事業主になるときに売るものがもしかして複製芸術

だったりしたらそのことをあらかじめ

知っておかないといけない

(これは計画なので

 やりおおせる前にふかしているというわけではない)

 

計画は大事ですよ