純粋な興味でそれのことを知りたい
と思うのはいいと思う
オレは電磁気界隈についてまるでこれまで知識もなにもなかった
ところ
まずとっかかりとしての「磁力と重力の発見」があるのである
それはいいだろう
名著だし
科学的態度というものについてすごく考えるきっかけが生まれたのである
たまさか電気のがっこうにいっているが
そこではなにもやらんのね電気は電気としてそこに(もう)
所与のものとしてあるのである
電子
というもののふるまいだってぜんぜんやらないのである
そんなん資格試験にでないでしょ!
ということである
まあオレはいまざっくりと
すごくざっくりとがっこうの教育(というかあれは教育か?)について
枠組みを批評しているのだる
まあとはいえここで
「真の教育とは>?」というのが
難しいのであって
オレは「学校」のやっている方法については一定の理(ことわり)があると
認めるものである
教科書
というのは古来の学問の積み重ねの上に立って
初学者にもそれを学びはじめることができれば可能であるように
つくったものだから
なにしろ我々は「知りたい」と思っているのである
知らないからね
知りたいがあれば「わかりたい」人間であるし「わかろうとしている」人間でもあるだろう
我々は
単に
就職がしたくて資格がほしいだけの人間ではないのである
単にそれほしいというだけであれば
その人間は「就職」をまるでゲームの一種(人生という金を儲けるのが第一義のゲーム)ととらえていることになる
もちろんそのような考えをもって人生にのぞむという方法もある
それはそれでオレはそれをしたことがないのでどういう感慨をもつかわからんけど
幾ら貧乏でもそれでも人生を測る尺度は金ではないと
考えるものだる
「質」(Quality)が人生がよきものであるかどうかを決める
のであると信じるものである
Quality of LIFE
この項つづく