ラジオを無数に聴いているが毎週やってるやつで最初にきいていくのが
いまは
ANN乃木坂久保しーちゃんであって
アトロク火曜宇垣総裁オープニングである
演技でもなんでもいいんだけど声なので
声だけフリートークがいちばん脚色しにくいのではないかと仮説
なのできいているが
とにかくどちらもお仕事好調というか人気者で
お仕事たくさんあってすごく忙しそうな方々のラジオ
は
きいていて本当に気持ちがいいのであるこの人ノリノリだな^ー
ノリノリまさのりー
ってわかるから最高である
それこそ令和のそれノリノリである
久保さんはすっかりいまや乃木坂のダブルセンターであり
大河の俳優さんであり
いいねえ
宇垣総裁だって俳優でありドラマ出演であり
エッセイコラムかきまくりしめきりありまくりであって
いや2年目かもしれませんけどわかんない
とにかくそのへんの元キー局アナウンサーたちとはまるでちがう
キャリア形成(失礼ないいかた)
というのはたぶん顔中心ではない方法をとっていくしかない
(そうしないと自我が満足しない)
ということだと思うんだけど
久保さんにしてもたぶん顔じゃないと思うの
俳優さんに対して顔じゃないというのも失礼ないいかただけど
逆を言えば「顔しかない」人もいるだろうけどそれは
書いてみて思ったが顔しかないというのはたぶん成立しない
オレが「耳できけば本音の声なのかどうかわかる」と思い込んでいるように
多くのテレビや映画をみる客たちそれぞれだって「みればその演技が
ホンモノかどうかはわかる顔のよさだけに惑わされないぞ」と
みながそう思っているのである
それでもなお顔で騙せるのであれば余程のものであるがそんなに
コストのかかる方法をとらなくても
顔にくわえて演技という技術があればなおいいではないか
よくわかんないんだけどね演技ってなんですかあっていう
しかし
よい小説が作者と小説のあいだに距離があるものであるように
よい演技って演技者と演技そのもの(他人から見える部分)が
離れているのがよいものなんじゃないですかと
仮説
久保さんってそういうタイプの俳優なんじゃないのかなあ
あまりみたことないけど
(失礼)
宇垣総裁にしてもオレはコラム読むのとラジオきいてばっかりで
演技を
みていない(失礼)
ごくたまに演技の舞台をみると圧倒はされるのだが
イマイチオレの中のコードにぴんとこないというかオレを
オレがそれを受け取るための舞台がオレの中にまだ
形成されていないような気がするのね
映画とかならそれ面白いとか確実に反応できるんだけど
「少女は卒業しない」「EEAO」をみたい
みたい映画リスト
シネリーブル梅田かあ
あとはTOHOでシネマイレージ加算をいまのうちにためるとか(EEAOは
TOHOでみれるはず)
アップリンク京都で「すべてうまくいきますように」をみたいなら
日曜の午前だし予約したほうがいいような気がするしね