調子がいいというのはあくまで慣用句であって
客観的に調子がいいわけではない
ただオレはオレのコンディションとして脳がぎゅるぐるまわって
いる(からまわりを含む)状態がここちいい(報酬)と感じている
ので
その状態のことを調子がいいといいきってしまうだけのことである
つまり「可能性の萌芽」を感じてるときがいちばんいいわけであって
じっさいそれを「する」のは体力気力いろいろ必要なんだけど
「これ できるかも?」とアイデアを考える検討する条件を選定する
ときが一番脳がまわってるね
つまり大きい方で言うと
・フィクションを書くことができれば大金を入手して土地と家を買う建てることができるかも!
みたいなことです
いまむりやり1つにまとめたので小学生的なビジョンになりましたが
中身はオレの本音そのものなのでシンプルです
両方ほしいわけです精神的充足と金銭的充足(他人からの尊敬はそんなにいらないが結果的に金銭を得るということは他人からの金を払ってやってもいいというこころを集めることなのでそうなる)
社会的地位(他人に命令できる?)なんてもんは別にいらないのだった
たぶん
友達はいるにこしたことないけどね
さて
類推
オレの父も
「この人はどうかしているな・・・」とオレは85の父に対して日々そのように思っているのだが
しかしよく考えたらオレの父なのである意味では類似点があってもしかるべきというかそういうことが疑われるのであって
オレが脳がぐるぐるしているときと父が脳がうまくうごいていて妄想とか誇大なやつがぐるぐるしているときは同じようなもんなのではないか(そして父は加齢により徐々に前頭葉抑制がはずれてきているのでメールにおかしなことを書きはじめるのであった)
そこで練習として書くがうちの父は
若いときというか中年のときから
経済と経済学と経済学の周辺にいるやつらと商学というか
養生訓というか上杉鷹山というかビジネスって言葉が好きな人というか
そうしているうちに赤文字テロップYOUTUBEとかゆっくり動画による中国の解説とかデマとかそういうのが大好きになってしまった系の老人なのだが
そういう意味ではさっさと鈴木大介『ネット右翼になった父』を読まないといけないのだが
参考として
ちな
この「ネット右翼」は実際には著者インタビューによればネット右翼になったと思いこんでいたら父の死後に家族で検討した結果じつはそうではなかったという話なのであるいみタイトル詐欺いやさタイトル誘導型である
まあね
そのくらいはするだろ
だからやはりオレがなにかをするならば最も個人的なもの
を抉り出すみたいなことがあるかないか