映画「ノー・ホーム・ムーヴィー」(2015) 「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」(1975)について

2本見てきましたシャンタルアケルマン映画祭っす東京日仏学院

良し悪しとかわかんないから覚えてることだけ書くよ!

 

ノーホームは断片でありドキュメントであり固定カメラであり荒野である

荒野にはじまり荒野に終わるかとおもえば

さいごは部屋だった

その部屋は映画をみた者たちはよく知る部屋であるがおそらく母は死んだのでもう誰もそこにいないのだ

オレは凡庸にも自分の親の死を想像したね

 

荒野はどこなんだろうねえ

 

ジャンヌ

これは最高の映画という投票を得た映画

だっていうんだけど

オレに分かるわけないじゃんねえ

頭いい人が読みといて教えてください

ただ分かることもあることはあるが

わからんが多くて

枝葉だけでも

・あの赤ちゃんを預かるやつはなんであんなに短時間なのかあるいは短時間にかんじるだけでもっと長いのか?

・なぜ息子は寡黙なくせにマザコンぽいような感じもあってあんな母子同居生活じゃあオナニーもできないぞ?

・〇〇は怒りですか?

 

 

いま〇〇ってかいちゃったけど(書いたあと伏せた)

ネタバレしない方針なのでここまでですう

 

(つづき)

さて帰宅したのでおちついていろいろかんがえなおす 

 

確かに ノー・ホームは「母への愛」の映画であることはまちがいない

誰も演技していないし

誰も

スカイプで会話しててもだらだらと会話は終わるよといいながらつづく

そうなんだろう

 

ジャンヌ

ストーリーとその「描写」の細かい部分はオレにはわかんないんだよ

どうしてあの結末にいたるように進んでいったのか

そもそもどうしてジャンヌは6年前に夫を亡くしてそれから

〇〇〇をするようになっているのかもわからないし

だから分かる(わかった 映画から読み取れた)ことだけを書くと

 

息子は甘えっこなのかなんなのか

わかんないけど

結局母が好きなんじゃないの

父から「セックスは子づくりと快感とともに伴うもの」(要約)と

きいて父を憎んだというのは子供としては

母が好きだっていう証拠なんじゃないの?そのへんはよくわからんけどさあ

 

あとは1970年代のブリュッセルブリュッセル?かどうかはオレはしらないがタイトルにブリュッセルって入れてるからさあ・・)

都会だけどなにか埃だらけの「旧いまち」にしかみえない風景がなんともね

昔はいろいろそうだったのさ

紙でつつんで肉を売ったり

パンとか焼いたもんは冷蔵ケースではなくただの常温ガラスケースにいれといて陳列してね(いまでも西洋とか南米とかそうじゃんね)(あいつら湿気ってもんが低いから)

ジャガイモが夕食における炭水化物だったり(パンは朝と昼にしか食わんのか)

ピカタをつくるときに小麦粉は机の上にじかで手づかみでばらまいたり(これはびっくりしたねえ)

しかしジャンヌは調理と皿洗いを執拗に行っていることと

息子の靴を磨くのと

それはねっしんで

あとは服をたたむこと

でも掃除してるのみたことないなあ

夜に必ず散歩にいくのはどうして?

 

郵便受けは〇〇〇の連絡の手紙がはいっているの?

 

なにしろこの映画

1つたりとも「クローズ・アップ」が無いのである

あるのは固定カメラのショットだけである

それが横から映しているのか

正面から映しておるのかの違いだけだ

あるいは「真上から」だけどね(それは最後の手前の・・)

 

だからこの映画では「小物」のディテールはさっぱりなんだかわからないまま

なのである

 

 

それは「ノー・ホーム」でも同じでショットは常に固定のカメラで

なにしろジャンヌのほうは街を歩くのがあったが

ノーホームは一切街を歩きもしない

荒野に誰もいない止めのシーンあるいは車の車窓が荒野で横に流れるシーン

それ以外はすべて室内の止め絵の中間距離で人物は勝手にうごいたりまたは動かなかったりするわけで

表情のアップもないし小物のアップもない

PC画面のアップだけはあるけどね(SKYPE

ディテールがあるとすればそれは母の話す声のことだけだ

そう

娘を褒めるんだよこの母は

いいねえ