いくわけだがそのときわざわざ東京の人気ラーメン店にならぼうとは
思わなくなったわなあ時間の無駄
ならぶほどの価値ではない
(ならばないなら食いたい)
人工(にんく)とは一日一人の人件費のことです
つまり宇宙にいくのは
人件費も材料費もかかるうえに科学の精緻なやつも必要だ
(それは誰もができることではない)
ゆえに
よほどの「大きい理由」がないと人間は宇宙にはいかないのよ
大航海時代というのは別に大きい理由があったのではなく
「新大陸(知らない大陸)の富を他の人間にとられず独占したい」
欲
があっただけの話でそれだけのために荒波をくぐりぬけて
科学の力(航海術や造船)をつかって人工もかけて
いくわけじゃ
バカみたい?いまは地球の上に「タカラの土地」がもうないからでしょ
当時はあったんだよ
価値ってそういうもんじゃんブラインド
東京へ
いくのは映画を2本みるためだが
これは貴重ですよ映画祭じゃないとみれませんよ
タイトルもういまここに書いておこう
「ノー・ホーム・ムーヴィー」(2015)
「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」(1975)
シャンタル・アケルマンのWIKIPEDIAをいまみていたが
あまりあらかじめ読むもんじゃないと思うのでかえってきたらまた読もう
なんちゅうか先駆者はいつもなんかおわりかたとか悲劇というか
あまり恵まれなかったというか
いまになって再評価とか墓の下で怒ってるんじゃないか
とか思ってしまうね
映画みるだけでその他にすることはなく帰りは深夜になるであろうてな
フロもいけないけど昨日がんばって行ったからええやろ
東京でたちぐいソバくらいは食ってもいいぞ
とんがらし(飯田橋)は新オーナーになってその後どうなったのだろう
まあ東京なんてせまいもんで
東京駅からあるいても
3.8㎞ですよ
国立近代の横をとおっていくのね
九段下から近い
って意味ですよ
歩くのはある意味あたりまえといいますか
7日に行ったのは
滋賀
だけど
大雨だったから快適な歩きではなかったが
それでも歩いたわ
あの感じでやっと10000ちょいだったから
10000って仕事じゃなくてあそびで歩いていると
結構なアレ(長さ)だなあと改めて感じるわけよ
そのくらいのアレ(長さを感じる行動)は毎日してもすべきしていこうじゃないの
と
思うけどね休日でもね